15 脱出

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15 脱出

 私は、男がスマホに夢中になっていることを確かめると、大きく息を吸い込んで声を張り上げた。 「ゔゔゔっっっ!!」  張り上げたけど、うめき声にしかならなかった。 「ん?今度は何だ?」  男は私の方を振り向いた。 「ゔゔっ!」  私は男を見て声を上げた。 「ちょっと待ちなよ。」  男は、面倒くさそうに立ち上がって私に近づくと、私の口を塞いでいるテープを剥がした。 「何ですか?お姫様……」  人を小馬鹿にした男の言葉に怒りを覚えたけど、そこはグッと堪えた。  私は呼吸を整えてから口を開いた。 「喉が渇いてしまって……何か冷たい飲み物を下さい……」  ラウーラさんと同じように、単刀直入にトイレに行かせてと言ったら、結束バンドが切れていることが男にバレてしまう……  ここに来て、バンドを切ったことがやぶへびになってしまった。  ダメね……そんなことを思っちゃ……  私とラウーラさんは、その時その時で最善の行動を取っている。大丈夫……  絶対にここから逃げ出せる。 「冷たい飲み物?有ったかな……ちょっと待ってくれ。」  男は頭を掻きながら私の望み通りに部屋から出て行った。  よぉーーしっ!……腹を決めてやるしかないか……  私は、自分を奮い立たせると、ラウーラさんに近づいて小声でささやいた。 「ラウーラさん、行ってきます。」  ラウーラさんは何か言いたげだったので、口のテープを少し剥がした。 「ドアを出て左の奥よ、トイレ。小窓のカギを開けておいたから、アイツが 戻って来る前に早く行って。」 「はい。分かりました。  後で必ず助けますからね。」  ラウーラさんは笑顔を作った。  私は、気が進まなかったけど、ラウーラさんの口のテープを元通りに貼り直した。  そして、ドアを細めに空けると隙間から外の様子をうかがった。  ……近くに人の気配はない。  事務室の方からは、農作業から戻ってきた作業員たちの話し声が聞こえてくる。  それでも、彼らがこちらの方に来る気配はなさそうだ。  外国語を話しているためにその内容は皆目見当がつかないけど……  もし、日本語を話していたとしても、恐怖と緊張に押しつぶされそうになっている私には、話の内容が理解出来なかったに違いない……  緊張が頂点に達しているせいで、鼓動が尋常じゃないくらいに速くなって、今にも吐きそうな気分だ。  私は、音を立てないようにそっとドアを開くと、顔だけを出して、もう一度外の様子をうかがった。  大丈夫……近くには誰もいない。  確認し終えた私は、深呼吸をして、慎重に部屋から通路に出た。  周りの状況に目を配りながら、後ろ手にドアを閉めた。  トイレは左ね……  右の方には大きな事務室と正面の入り口がある。  ただ、この部屋は奥まったところにあるおかげで、事務室からこちらは見えづらいはずだ。  そうは言っても、長居は無用。  あの男は恐らく事務所にある冷蔵庫に飲み物を探しに行ったはずだ。  男や作業員たちに見つかる前に、早くトイレに逃げ込まないと……  足音が立たないようにしながら、素早く通路を通ってトイレに向かった。  ここだ。  トイレは男女別になっていたけど、建物の大きさの割には広くなさそうだった。  私は、トイレに入ろうとした時、奥の方に床下収納の扉のようなものが床にあるのを見つけた。  トイレに急いでいる私は、そんなものに目をくれている時間は無かったけど、一瞬、目が留まってしまった。  なぜなら、あの男に見つからないように神経を研ぎ澄ましていたためか、床の扉を覆うように漂っている光彩を感じたからだ。  禍々しい暗黒の光彩。この事務所の屋根の上に見えた光彩と同じような光彩。  何でこんなところに光彩が見えるんだろう……  私の心の中には、その扉を開けたくなる衝動が湧き上がってきた。  湧き上がると同時に、足が床下収納の扉の方に向かっていた。  ……その時、私の背後でスマホの通知音のようなメロディーが鳴った。  あれっ?聞き覚えのある音だ。もしかして、私の?  取り上げられた私のスマホ?  どこ?  スマホが有ると無いとでは天と地の差だ。  リスクを冒してでも見つけたい……  音が鳴ったと思われる場所をあちこち探していると、床下収納の近くにあるごみ箱の中に無造作にスマホが2台捨てられてあった。  拾ってみると、私とラウーラさんのスマホだった。  よし、よし、ラッキー。スマホを取り返した。  正に不幸中の幸いだ。  見つかる前に床下収納の中を確認したら、警察に通報しよう。  その扉は1メール四方の正方形をしていた。真ん中から左右に開く観音開きの扉だった。  その扉を覆いつくすように暗黒の光彩がドロドロと渦巻いている。  とても強く認識できるので、誰にでも見えるんじゃないかと思うほどだ。  一体、何なんだろう?  どうして、扉にこんな光彩が現れるんだろう?  私のこれまでの経験則が役に立たない。  この金属製の重そうな扉の奥には何が潜んでいるのだろう?  怖いもの見たさ……この言葉がぴったり。  何としても原因が知りたい。  ここでこの扉を開かなければ、光彩鑑定人としては失格だ。  私は、しゃがみ込んで、扉の取っ手を両手で握ると力を込めて引いた。  すると、扉は予想に反して軽々と開いた。  私は、肩透かしを喰らったように、勢い余って後ろに倒れそうになった。  恐る恐る扉の中を覗き込むと、扉の中には暗黒の光彩は無かった。  光彩は表面にだけ現れる。それは変わらないらしい。  さらに奥の方を覗き込むと、奥の方は暗くて判然としなかった。  あれっ?  目が慣れてくると、床下収納だと思っていた扉の中は、下に続いていると思われる階段があった。  しかも、その階段はしっかりとした金属製で両側には手すりも付いていた。  私は、パンツのポケットにしまっていたスマホを取り出すと、スマホのライトを点けて階段の先の方を照らしてみた。  その地下階段は、私が想像していた以上に深く長く続いているようだった。  本当に地の底まで続いているんじゃないかと感じるほどだ。  こんな扉の下に広い地下空間が広がっているなんて……  一体、何のためなんだろう?  私の神経は地下階段に集中していたせいで、背後に迫っている危険に気づかなかった。 「おいっ!そこで何してる?」  鋭い声が私に突き刺さってきた。  私は驚きのあまり少し飛び上がってしまった。  実際には飛び上がっていなかったのかも知れないけど、その時はそう感じた。  あの男の声だ。  追い込まれた私は、振り向きもせず、反射的に扉の中に飛び込んで、地下階段を数歩駆け降りると、中から勢いよく扉を閉めた。  不思議なことに、その扉の内側には錠が付いていて、中からロックすることができた。  私は、ためらうことなく、無我夢中で中から扉をロックした。  ……冷静になって考えると、中から扉をロックできるようになっていることの不自然さに気づくべきだったけど、その時はそんな余裕がなかった。  地下階段の壁面にはフットライトが点いていたけど薄暗かった。  私は、扉に耳をピッタリと付けて、扉の向こう側の気配を探った。  …………  耳を澄ましても、扉の向こう側からは、何の声も物音もしなかった。  唯一聞こえるのは私の速く粗い呼吸の音だけだ。  どうしよう……  状況が分からなくて、出るに出られない。  あの男がすぐそこにいるのかいないのか、判断がつかない。  息を殺して、私が出てくるのを待ち構えているのか……  それとも、ラウーラさんが捕まっている部屋に戻ったのか……  私は怖くなって足が震え出した。  ラウーラさん、何もされていなければいいけど……大丈夫かな……  その時、パンツのポケットに入れておいたスマホの通知音が静寂の地下空間に響いた。  私は慌ててスマホを取り出した。  見ると、立て続けに2件のメッセージが高宮さんから届いていた。 【私も下仁田に来ました。  真行寺さんは今、下仁田にいるんですか?  危険ですから、あまり目立った行動をしないでください。】  3分後 【まだ下仁田にいるのなら、どこにいますか?】  私は藁にもすがる思いで返信した。 【助けて下さい!  ミンの職場の事務所に先輩と捕まっています。  先輩は1階の部屋です。  私は地下室みたいなところにいます。】  高宮さんから送られて来たメッセージを目にすると、堪えきれずに涙が溢れ出した。  高宮さん、助けて……  私は立っていられなくて、その場に座り込んだ。  身体に力が入らない。  コツコツコツ……  その時、階段の下の方から人の足音が響いてきた。  えっ?うそでしょ?  地下に人がいるの?  そ、そんな……  私は上と下から挟まれてしまった。袋のネズミ状態……  その足音は徐々に大きくなって、階段の下からこちらへ登ってくる人影が現れた。  そして、その足音の人物は私から5メートルくらい手前の所で歩みを止めた。  薄明りの中、その人物の姿があらわになった。  その人物は褐色の肌をした私と同世代の男だったが、奇妙な衣装に身を包んでいた。  黒いローブのような、足首まで裾が伸びたスエード調の上着を羽織って、頭にはターバンのような黄色い帽子を被っていた。  歩みを止めたその男は私に向かって口を開いた。 『どうしてここへ来た?』 「えっ?」  そのローブの男の口から出た言葉は日本語じゃなかった。  恐らくスアンの母国ヤンガンの言葉だと思う。私には聞き取れないけど…… 『私の言っている言葉が分かるか?』  何かを言っているけど、私には全く理解できない。  取りあえず、首を左右に振った。 『それは、私の言葉が分からないとの意思表示か?』 「ですから、言葉が分からないんです。」  どうすればいいの? 「グエン・スアンのトモダチか?」  そのローブの男はカタコトの日本語で訊いてきた。 「えっ?そ、そうです。スアンの友達です。」  ……あれっ?  暗くてハッキリしないけど……どこかで見たことがあるような、ないような……  この状況じゃ、冷静になって思い出すことができない。  私が答えた時、ローブの男の背後に別の男が現れた。  その別の男がやって来たことに、私は全然気が付かなかった。  ローブの男は、背後に来た男を振り返ると、一礼して声を掛けた。 『ファイサル様……』 「………………えっ???」  この人、今なんて言ったの? 「ええええっっっ!!!」  確かにファイサルって言った。間違いなくそう言った。  ファイサルって、ファイサルよね。  ミンの幼馴染みのファイサルでしょ?  でも、すでに亡くなっているはず……  それが誰かは別として、日本中に知れ渡っている。  それとも、他にも同じ名前の人間がいるのかしら?  そんなこと、考えにくい……確か、自国のヤンガンでも珍しい名前だって、 スアンが言っていた……  ファイサルが生きている。  それじゃあ、納沙布岬や神崎鼻公園は何だったの?  亡くなったのは一体誰?  どういうこと?  ファイサルが亡くなったのよね?  だって……だって……私の鑑定結果でもファイサルは亡くなっていると出ていたし……  ファイサルの光彩は深い濃紺……それは死を意味している。  そこにいる、ファイサルと言われた後ろの男性の光彩を鑑定したい……  私が目の前の事実をどう理解していいのか思案していると、ローブの男はいつの間にか私の背後に立っていた。 「はっ!?」  私が振り向く間もなく、ローブの男は何やら液体を染み込ませた布のようなものを使って、私の鼻と口を塞いだ。  私は、なんの抵抗も出来ず、その液体を鼻と口から吸い込むと目の前の光景がグルグルと回りだした。  そして、そのまま気を失った……
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