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18 裏切り
ラウーラさんと私がミンの痛々しい姿に衝撃を受けている時、地階に上がる階段の上の方から声が聞こえてきた。
『誰か、手を貸してくれっ!』
と、言っても、ヤク中の奴らばっかだからな……
まともな奴はユンだけか。
あっ、あの男。私たちを拘束して監禁していた男だ。
大きな荷物か何かを両腕に抱えるようして、重たそうに持っているように見えた。
『何だ、その抱えているものは?』
ユンは、ミンの車椅子を止めると、階段の方に歩いて行った。
『ユン、ちょっと下に降ろすのを手伝ってくれ。』
『ん?
おいっ!人間じゃないか?』
ユンは階段を上りながら口を開いた。
『ああ、3人目の侵入者だ。』
『今日は一体、どうなっているんだ?』
『あまり、悠長なことを言ってられないぞ。
こいつ、警察官だ。』
『何っ?それを早く言えよっ!
何で警察官を中に入れたんだ?』
『だから、侵入してきたんだよ。
ちゃんと確保したんだ。
いいから、手伝え。
上で拘束していた方が危険だ。外に逃げられる可能性があるだろ?
ここの方が安心なんだよ。』
『ちゃんとファイサル様に報告するんだ。』
『分かってる、分かってる。
ほら、足をしっかりと持てよ。』
2人が抱えているものはどうやら人のようだった。
……まさか、死体じゃないわよね。
階段の上から運ばれてくる人の顔を恐る恐る見た時、私は落雷に打たれたような衝撃を受けた。
た、高宮さんっ!?
私は声にならない声で叫んだ。
高宮さんは、後ろ手に両手を拘束されていて、足首も縛られていた。
そして、意識を失っているようで、全身から力が抜けて、ぐったりとしているように見えた。
私は、自分も後ろ手に拘束されていることを忘れて、イスから立ち上がろうとした。
でも、すぐにバランスを崩してイスに尻もちを付いてしまった。
「どうしたの?知っている人?」
ラウーラさんは私の慌てっぷりに驚いていた。
「は、はい。お父さんの件でお世話になった刑事さんですっ!
高宮さん、大丈夫ですよね?生きてますよね?」
「高宮さんって言うの?
大丈夫。気を失っているだけよ。
でも、どうして捕まったのかしら?」
「ちょっと一言では言えないんですけど、私が助けを依頼したんです。
……そのせいで、こんなことに……」
「YUKIちゃん……」
ラウーラさんは言葉が続かないようだった。
『ファイサル。こいつ、サツだ。
このままじゃ、やばいことになりそうだ。』
地階にいた男は高宮さんを乱暴に床に横たえると、ファイサルに話し掛けた。
ラウーラさんが私のために同時通訳してくれた。とても心強い。
『筧、警察官だと分かっていて、何故ここに連れてきた?』
あの男、筧って言うんだ。
『上に置いておけないだろう。
逃げたらどうする?』
『さっさと殺ればよかったのに。』
『俺はそんなことはしない。
仲間を殺して、警察が来てしまって、これからどうする気だ?』
『誰かが犠牲になる……それは致し方ない。』
『致し方ないで済む問題か?』
『ミスをした奴が悪い。
警察のおとり捜査にまんまと引っかかった……
まあ、それでも生け贄として最後まで我々に貢献してくれた。』
『貢献?ファイサル、それは君のエゴってもんだろう?』
『俺とあんたとの認識の違いだ。
あいつはあの世で守護神になっているはずだ。
結界が完成すれば、警察も手出し出来ない。』
『そんなこと……そもそも、今となっては結界を完成させることは困難じゃないか?
左腕が発見される場所が佐田岬だって世間に知られている。置くところを誰かに見つかる危険がある。』
『それでも構わない。
儀式はコソコソと行うものじゃない。
厳かに行うものだ。
そのために盲目的に俺の命に従う信者がいる。
汚れ仕事でも危険な仕事でも、まったく厭わない。』
ファイサルはトランス状態の信者を見渡した。
『信教とは、そのような尊い犠牲の上に成り立つものだ。』
『なんだか俺には分からんが、また警察が来たらどうするんだ?
結界も完成していないんだし……』
筧はファイサルに話を合わせているようだ。
顔を引きつらせながら、苦笑いしている。
『しかし、おとり捜査に引っかかったと言っても、なぜここが分かったんだ?』
ファイサルは首を傾げた。
『分かったのは、ヤク絡みじゃなくて、スアンの方からじゃないのか?
ミンを探しているんだからな。
だから、ミンを引き込むことには反対だったんだ。』
『ミンは俺にとって特別な存在なんだ。
俺の言うことを素直に聞いていれば、こんなことにはならなかった。
全てスアンが悪いんだ。
あの女さえいなければ……すぐに殺るべきだった。
それだけは後悔している。』
『取り敢えず、ここから移動した方がいいんじゃないか?』
『うーーん。
結界が完成していないから、念の為にそうすべきかもしれないが、ちょっと待て。』
そう言うと、ファイサルは私の方に歩いてきた。
ちょっと、なんなの?
こっちに来ないでよ。
『君はスアンと知り合いらしいな。
ユンの報告では、結界のポイントにスアンと一緒に行ったりしているそうじゃないか?
ここにも以前、スアンと来たことがある……
どうしてそんなに首を突っ込むんだ?』
私はラウーラさんの通訳を聞いた後に答えた。
「ミンを探していただけです。
あなたがしていることを調べていた訳ではありません。」
私の言葉もラウーラさんが通訳してファイサルに伝えてくれた。
『怪しいものだな。
そもそも結界のポイントの場所はミンとは無関係だ。
なんの必要があって、スアンと行ったんだ?』
「そ、それは……発見された身体の一部があなたのものかも知れないと思って……」
『もし、それが俺の身体の一部だとしたら、どうだと言うんだ?』
「ミンを見つける手掛かりがあるかも知れないと思って……」
『ふん。なんか怪しいな。
……では、その身体に聞いてみようじゃないか。』
「えっ?」
私は嫌な予感がした。
ファイサルは私の両肩に両手を置いた。
そして、こともあろうか、その両手をゆっくりと這わせるように私の胸の方に移動させた。
「や、やめてっ!!」
私は上半身を必死によじって抵抗した。
「何すんのよっ!手を退けなさいっ!」
ラウーラさんも日本語で制止しようとしてくれた。
『静かにするんだ。ここでは俺は絶対なんだよ。』
ファイサルは私が着ているセーターの端を掴んでたくし上げようとした。
「嫌っ!!やめて下さいっ!!」
私は恐怖と嫌悪感で全身に鳥肌が立った。
『じたばたすんなっ!ガキじゃないんだ……』
ファイサルの荒く生暖かい息が容赦無く私の顔に降り注ぐ。
私は、半ば諦めて、ファイサルから顔を背けて、固く目を閉じた。
「貴っ様っ!!何してるっ!!!」
その時、高宮さんの叫び声が地下室中に響き渡った。
両手足を縛られている高宮さんは、正気を取り戻して、器用に立ち上がっていた。
そして、叫ぶと同時にファイサルに体当たりしてきた。
不意に体当たりをされたファイサルは、数メートルも飛ばされて、私の目の前からいなくなった。
『ゔごっ!』
突き飛ばされたファイサルは床に叩きつけられて、奇声を発した。
そんなファイサルの姿を目の当たりにした信者たちは、さすがにトランス状態から意識を戻して、驚きの表情を浮かべている。
『アイツを押さえ付けろっ!』
ユンが高宮さんを指さして、信者に命じた。
信者たちは、ユンの言葉で我に返ると、一斉に高宮さんに襲いかかろうとした。
ただ、薬の効果のせいか、動作が緩慢で足がもつれて転ぶ者もいた。
ファイサルに体当たりした高宮さんは床に倒れ込んでいたが、信者たちが向かって来るのを見て、慌てて起き上がろうとした。
「高宮さんっ!逃げてっ!」
よく考えたら、逃げ場所なんてどこにも無さそうだけど、そう叫ばずにはいられなかった。
「由紀子さんっ!!
大丈夫ですかっ?!
怪我はありませんかっ?!」
なんとか起き上がった高宮さんが訊いてきた。
「ありがとうございますっ!
私は大丈夫ですっ!
高宮さんっ!……」
私はその後の言葉が出てこなかった。
高宮さん、絶体絶命の状況……
最悪の展開ばかり脳裏をよぎる。
高宮さんを取り囲むように、信者たちがジリジリと近づいて行った。
その目付きは殺気立っている。
ユンに介抱されたファイサルは、その光景を楽しそうに見ていた。
『俺に歯向かうからだ……罰だよ。
ふざけやがって……』
どうしたらいいの?
私には為す術がなかった。
高宮さんとラウーラさんと私、圧倒的に不利で、危機的な状況にあることには変わりがなかった。
私の心が折れようとしている丁度その時、階上の方から人の足音のような物音が響いてきた。
複数の人の足音のように聞こえた。
なんだろう……
まさか、他の信者たち?
私は高宮さんに視線を送りつつも、階上の物音が気になった。
これ以上信者が増えたら、どうすることも出来ない……今でもそうだけど……
「……ないのか?」
ん?
階上の方から日本語が聞こえたような気がする。
私は耳を澄ました。
「誰もいないのか?」
はっきり聞こえた。日本語だ。
「群馬県警の者だ。
悪いが中を確認させてもらうよ。」
やったぁ!
警察の人たちだ。
私はラウーラさんと目を合わせると、大きく頷き合った。
「こっちだっ!地下だっ!
地下にいるっ!捕まっているっ!」
高宮さんが上を向いて大声で叫んだ。
その声に反応するかのように、筧という男が高宮さんの背後に現れた。
あれっ?今までどこにいたんだろう……
筧はスルスルと高宮さんの背後に忍び寄った。
「高宮さんっ!後ろっ!危ないっ!」
私は思わず叫んだ。
高宮さんは、私の声に反応して、後ろを振り返った。
しかし、筧の動作は素早く、後ろ手に縛られている高宮さんの手を掴んだ。
最悪……
警察の応援が来たことが仇になったみたい……
警察が来たタイミングで筧が近づいて行った。
た、高宮さん、どうなっちゃうの?
私は見ていられなくて目を伏せた。
すると、ラウーラさんが話しかけてきた。
「YUKIちゃん、あれ見て。」
「はい?」
私が顔を上げると、筧は高宮さんの耳元で何かを囁いていた。
高宮さんはそれに頷いているようだった。
そして、筧は高宮さんの両手の結束バンドを切り落とした。
えっ?何で?
そのまましゃがみ込んで、今度は足首の結束バンドも切り落とした。
なに?なに?
何をやっているの??
高宮さんの味方?
高宮さんが手足の拘束を解かれたのも束の間、周りにいた信者たちが満を持したように飛びかかって来た。
『うぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!』
「おっと!」
筧は、巻き込まれたくないのか、するりと信者の間をすり抜けて距離を取った。
高宮さんは、ゾンビのように次々と襲いかかってくる信者たちを右に左に必死に振り払っていた。
「やめるんだっ!怪我をするぞっ!」
信者たちは、高宮さんの言っていることが判っているのかいないのか、襲うことを止めなかった。
高宮さんは筧の方を振り返ると叫んだ。
「おいっ!筧と言ったな?
銃は?」
「何?」
「何?じゃない。銃だよっ!俺の銃だっ!
あんたが盗っただろう?
これ以上罪を重ねないで、早く返せっ!」
「これかな?」
筧はチノパンの後ろポケットから銃を取り出した。
「ああ、そうだ。
早くこっちへ!」
高宮さんは筧の方に手を伸ばした。
「うん?」
筧は高宮さんの拳銃を両手で構えた。
それも、高宮さんに向けて。
「ちょ、ちょっと、何してるの?」
私は震える声で叫んだ。
「あなた、高宮さんの味方でしょ?
そうでしょ?そうだと言ってよ……」
「筧。何をしている?
さあ、銃を返すんだ。
この組織から足を洗うんだろう?
馬鹿ことはするな。
きっと後悔する。」
高宮さんは諭すように言った。
「ああ。
手遅れになる前に、こんなカルト教団からは足を洗うよ。それは本当だ。
人の道に戻る。」
筧は決して銃を下ろそうとはしない。
それどころか、口元に笑みをたたえて、躊躇なく引き金を引いた。
パァン!!
乾いた銃声が地下室中に響き渡った。
「きゃあーーっ!」
私は反射的に目を閉じて耳を塞いだ。
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