4 2人の光彩

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4 2人の光彩

 今から1週間前  練馬区桜台にある占いの館の私の部屋  東京も11月になると、太陽が控え目になって、すっかり秋が深まってくる。……そんな気がする。  午後6時  早めに夕食のお弁当を食べ終えた私は、予約簿代わりのタブレットを開いて、今日の最終予約の内容を確認した。  午後6時30分に女性の予約。予約名はグエン・スアン。  スアン、何を知りたいのかしら……  ラウーラさんと私がこの占いの館で鑑定していることはスアンも知っていた。  以前、私たちが居酒屋の海宝で飲んでいる時、スアンを交えて仕事の話になった。  スアンは、職業としての占い師に興味を示したが、自分の運命がどうなるのかにはあまり興味がないようだった。  自分の運命は自分で切り開くと言っていた。  未来が判ってしまったら、すべき努力を怠ってしまいそうだとも言っていた。  とても芯が強い、努力家のスアン。  スアンのような人には、占いや私の鑑定は必要ない。それどころか邪魔になってしまう。  私はそう思っていた。  それなのに、どうしたのだろう?  一体、何を知りたいんだろう?  取り止めのないことを考えていると、入り口のチャイムの音と同時にラウーラさんが現れた。 「スアン、もうすぐ来るんでしょ?」  ラウーラさんはドッカとイスに腰を下ろした。 「はい。6時半の予定です。」 「もうすぐね。  占いには興味が無さそうだったのにねぇ。」 「そうですね。なんか思うところがあるんでしょうね。」 「私たちには守秘義務があるけど、私に力になれることがあったら何でも言ってね。」 「はい。ありがとうございます。」  この時はまだ、スアンの相談内容についてラウーラさんの力を借りることになるとは、正直、思ってもみなかった。 「じゃあ、YUKIちゃん。私、戻るわね。」  ラウーラさんは何かを感じ取っていたのだろうか? 「はい。お疲れ様です。」  私は、いつも通り、ペンとノート、そしてアロマキャンドルが乗ったテーブルに着いて、スアンが来るのを静かに待った。  キーンコーン  数分後、入り口のチャイムが鳴った。  一瞬緊張が走った私は、入り口からスアンが現れるのをじっと待った。  …………  入り口のドアは開かない。  私は立ち上がって入り口に行くとドアをそっと押し開いた。  すると、そこには見慣れたスアンが立っていた。ただ、居酒屋でのいつもの笑顔はなかった。 「いらっしゃい。中へどうぞ。」  私が促したことで、スアンはようやく部屋の中に入ってきた。  右手にリュックを持ったスアンは、学生らしく、パーカーにジーンズのカジュアルな服装だった。 「さ、そこに掛けて。」 「……はい。」  数か月ぶりに会ったスアンの表情には生気がなく、明らかにやつれて見えた。 「スアン、大丈夫?」 「えっ?」 「なんか、辛そうに見えるから。」 「……全然……大丈夫です……」  スアンは、膝の上に置いていたリュックを抱きしめて、うつむいてしまった。  そして、身体を小刻みに震わせると、ひと粒、ふた粒とリュックの上に涙をこぼした。 「スアン?」  私はスアンの側に立つとハンカチを差し出した。 「すみません。YUKIさんの前で……」  スアンは、私からハンカチを受け取ると、目頭を押さえた。 「そんなことはいいけど、本当に大丈夫?  鑑定、また今度にする?」 「いいえ、大丈夫です。あまり時間がないので……」 「他にも予定があるの?」 「そういう意味じゃないんです。  私、大丈夫です。お願いします。」 「……はい。  では、何を鑑定しましょうか?」 「あの……私の友達が日本に来たんですけど、2週間くらい前にいなくなってしまって……」 「友達って、前に言っていた彼氏の……」 「……はい、ミンです。それに、一緒に来たミンの友達のファイサルもいなくなりました。  私の前から突然いなくなってしまった……」 「ファイサル?」 「はい。ミンの幼馴染みです。変わった名前ですよね。」 「変わっているの?ごめんなさい、私にはよく分からなくて……」 「あ、そうですよね。ファイサルって、私の国では珍しい名前なんです。」 「そうなの。  それで、突然いなくなったって……どういうこと?  連絡がつかないの?」 「はい。  技能実習で日本に来て、ミンとファイサルの2人で下仁田のアパートに住んでいたんですけど、連絡がつかなくなって……  私、下仁田のアパートまでミンに会いに行きました。  でも、ミンはいませんでした。ファイサルもいませんでした。」 「2人とも同時にいなくなったの?」 「そうだと思います。」 「それで、警察には届けたの?」 「はい。警察に行きました。」 「警察から連絡はあった?」 「いいえ、今のところ何も。技能実習に来た外国人が行方不明になることは少なくないみたいで……  担当の人からは、何かあったら連絡するからって、面倒くさそうに言われてしまって……  その後、気になってもう一度状況を確認した時には、まだ手掛かりは何も無い、そんなにすぐには分らない……そう言っていました。  私、不安で、不安で……」 「……そうすると、依頼の内容は、ミンと幼馴染みのファイサルが今どこにいるのかを知りたいということ?」 「はい、そうです。お願いします。  私、日本に知り合いが少なくて、頼れる人もいなくて……」 「スアン、私なんかを頼ってくれて嬉しいけど、私の鑑定では、スアンが望むほど具体的には分からないの。」 「それじゃあ、分かる範囲でいいです。  警察がちゃんと探してくれているのか疑問なので……」 「そうだね……待つ身としては不安しかない。分かりました、鑑定しましょう。」 「はい。  私、ミンのことがすごく心配で……  どこでどうしているのか……  私、どうしたらいいのか……  YUKIさん、お願いします。」 「ちなみに、ミンとファイサルの顔写真はある?どんな顔か分かっている方が正確な鑑定が出来るの。」 「スマホにミンの写真があります。」 「ファイサルの写真は?」 「ファイサルの写真は……無いです。」  スアンは、スマホに保存している写真フォルダの中を探してみたが、ファイサルの写真は一枚もなかった。 「無いなら無いでいいわ。  それじゃあ最初に、頭の中でミンのことを具体的に想像して。」 「今のですか?前のですか?」 「ん?どういう意味?」 「ミン、日本に来てから、なんか性格が変わってしまったみたいで……」 「何か精神的に影響を及ぼすような重要なことがあったの?」 「多分、下仁田で何かがあったんだと思うんですけど、ミンは何も言ってくれなかったんで理由は分かりません。」 「そして、いなくなったということ?」 「はい。おかしくなって消えてしまいました。」  スアンが話す内容が重た過ぎて、我ながら、鑑定するのが怖くなってきた。  それでも、私の鑑定が少しでもスアンの役に立てばいいんだけど…… 「楽しかった時のミンのことを具体的に想像して。」 「はい、分かりました。」  スアンは静かに目を閉じた。  よし、集中、集中。  私は、スアンの頭の輪郭の辺りに意識を集中した。  すると、徐々に輪郭の部分が陽炎のように揺らぎ始めた。  光彩が現れる?  空気が揺らいだままで、なかなか色づく気配がない……  …………  色づかない。無色ということみたい……  私が鑑定を切り上げようとした時、うっすらと光彩が現れた。  あっ!  ……見落としそうなくらい、ほのかなレモン色の光彩。  水がなみなみと入ったグラスに黄色の絵の具をほんの一滴たらしたくらいの光彩。  この光彩は、ミンの居場所を暗示しているものではない。  そうじゃない……  スアンがミンの存在を強く念じているのに淡い光彩しか現れない。  つまり、ミンの存在がこの世界から消えかかっていることを意味している。  それが私の鑑定。  どうしよう……鑑定結果は包み隠さずに伝えるしかない。  気が付けば、私は手のひらに変な汗をかいていた。  とにかく、友人のファイサルの鑑定もしなければ…… 「……スアン、いいわよ。一度目を開けて。」 「はい。どうですか?」  スアンは、目を開くと、訴えかけるような眼差しで私を見た。 「ええ。  ミンの鑑定は終わったけど、結果は後で説明するね。  先にファイサルの鑑定をしたいの。今度はファイサルのことを具体的に想像してくれる?」 「……ファイサルですか?」 「ええ。何か問題でもある?」 「いえ、何も。  ただ、私、あまり付き合いが無くて……  ファイサルのことを想像するっていっても……」 「それでもいいの。出来る範囲でイメージして。」 「……分かりました。」  スアンは再び目を閉じた。  程なくして、再びスアンの輪郭が揺らぎ始めた。  えぇっ!?  揺らぎ始めたかと思うと、見る見るうちに紺色になった。  紺といっても、ほぼ黒に近いような濃紺。  まるで深海の底の景色のような感じ。実際に見たことはないけど。  これって……  その先がないように感じる……時間の流れが止まっているよう……  ……そういうこと。  私は、ファイサルという青年とは面識がないけれど、少なからずショックを受けた。  スアンの彼氏のミンと友人のファイサルは、その時を迎えたとき、一緒に居たのだろうか?  2人が同時にいなくなったと言うけれど、それはスアンの推測に過ぎない……  別々に姿を消して別々の運命をたどった可能性も捨てきれないよね。  私が沈思黙考していると、我慢し切れなくなったのか、スアンが口を開いた。 「あの、どうですか?もう、目を開けてもいいですか?」 「ああ、ごめんね。目を開けて。」 「それで、何か分かりましたか?」  目を開くなり、スアンは身を乗り出して訊いてきた。 「……うん。  私の鑑定で分かったことを説明するね。  ただ、忘れないで欲しいんだけど、私の鑑定はあくまで私の鑑定。  これが絶対なんてことは全くないし、スアンが以前に言っていたように、運命は自分の手で変えられる。切り開いて変えていくもの。」 「はい。」  スアンは固唾を飲んで聞いている。 「先ず、2人が今どこにいるのかは分からない。一緒なのか、別々なのか……  その上で、ミンについてだけど……」 「は、はい……」  スアンの唇が震えている。 「どのような状況に置かれているのか、具体的には分からないけど……  魂……つまりソウルが弱くなっていると感じるの。生命力が弱っているみたい。  警察に捜索願を出しているんだから、病院に入院しているような可能性は低い。  入院しているなら、そんなに時間を掛けずに警察の捜索で分かると思う。」  私が説明している途中から、スアンのつぶらな瞳に涙が溢れてきていた。 「私、どうすれば……」 「うん……ファイサルの状態を踏まえて考えましょう。」  どうすべきか、私にも分からない。友人のファイサルの鑑定結果を踏まえると、なおさらだ。 「はい、そうですね。」 「……友人のファイサルなんだけど……私の鑑定としては、すでに……亡くなっている可能性が高い。  こんなことは言いたくないけど……」 「……亡くなっている?ファイサルが?」 「……ええ。鑑定では……」  スアンは私の話が終わるのを待たずに口を開いた。 「いい話は聞けないと覚悟はしていました……  ファイサルは亡くなっている……そうですか。  でも、でも、絶対じゃないんですよね?ミンのことだって……」  スアンは藁にもすがる思いで同意を求めた。 「ええ、勿論よ。私も私の鑑定結果が間違っていて欲しいと心底思っている。」 「YUKIさん、私、これからどうすればいいんでしょう?」 「うん、そうね……もし、鑑定したような状況に2人が置かれているとすれば、私たちが出来ることって、ほとんどないと思う。  こんな言い方をすると、冷たいように聞こえるかもしれないけど……  警察のようなことはできないし、警察の捜索に期待するしかない。」 「警察……そうですか……」  スアンは両手でリュックを抱き締めてうつむいた。 「私、警察に知っている人がいるから、捜索がどうなっているのか、訊ける範囲で訊いてみる……」  悲壮感溢れているスアンを見るに見かねて、無責任にも、つい安請け合いしてしまった。  でも、後になって振り返ると、この安請け合いが結果的に良い方向に転んだ。 「……YUKIさん、心強いです。」 「ミンが一刻も早く見つかるように、神様に祈りましょう。」 「はい……」  ◇  私は、鑑定が終わってスアンが帰った後、スマホを取り出すと電話を架けた。  発信先は、警視庁捜査第1課の高宮刑事。  呼出音が鳴ると私の身体に緊張が走った。  話すのは、半年ぶりかな……  ◇  あの日。葛城と名乗る男性が私の父だと分かったあの日。  父は、私と別れた後、その足で羽田空港に向かった。  そして、空港のロビーで警察官に職務質問をされた。  20年前の母親が亡くなった件で任意聴取に応じることとなった。  マレーシアへの帰国は取りやめ。  私と会った父は、過去の全てを清算すべきだと考えて、取調べを担当した警察官に全てを正直に話したらしい……  その時の担当者の1人が高宮刑事だった。  私と同い年くらいの正義感溢れる刑事さんで、それまで私が持っていた刑事のごついイメージとは違って、長身で細身の、どっちかと言うと華奢な体つきの刑事さんだった。  私も何度か事情聴取された。私の担当は高宮さんだった。  同世代だから、私が話しやすいと考えてのことだろうか?  確かに、私は不慣れな任意聴取にもあまり緊張せずに応じることが出来た。  自分の気持ちに素直になって、正直に事実を話した。結果がどうなろうとも。  未解決となっていた母が殺害された事件の犯人が父だとの見立てでいた警察は、父の帰国をきっかけにして、捜査を再開した。  結果、警察は、事故死だという父の主張を覆すことはできず、嫌疑不十分で父は晴れて釈放された。  証拠品のナイフを処分したり、母の金銭を持ち去った罪は時効が成立していて、無罪放免。  父と私は平穏な生活を取り戻すことが出来た。  そして、父は数か月遅れでマレーシアに帰って行った。  あの時の高宮さんは、色々と私を気遣ってくれていた。  精神的にも身体的にもストレスがかかっていた私としては、とても感謝している……それどころか、それ以上の感情が芽生えたのも事実だ。  でも、それは、私が普段の精神状態ではなかったからだと自分に言い聞かせていた。  高宮さんにとっては通常の仕事の範囲かも知れないけど、私にとっては一生に一度あるかないかの経験。  そんな非日常の中で生まれた感情は特別なものだ。  高宮さんが私のことをどう思っているのかも分かっていない。  私はこの感情を心の奥底に仕舞い込んだ。  ◇ 「……はい、高宮です。真行寺さん?」 「はい、真行寺です。ご無沙汰しております。こんな時間にすみません。」  私は、高宮さんの声を久しぶりに聞いて、自分でもびっくりするくらいに胸が高鳴ってしまった。  ……スアンのことも忘れて。  一瞬でもスアンのことを忘れてしまった自分を嫌悪した。 「久しぶりですね。お父さんのことで何かありましたか?  それとも、別のことですか?」 「あっ、はい。  お忙しいとは分かっているんですけど、今、少しお時間をいただいてもよろしいですか?」 「はい、大丈夫です。」 「あの、私の友人のことなんですが……  東南アジアのヤンガンの出身の子で、今、教立大学に留学しています。  その子の彼氏が、知人と一緒に技能実習生として来日して、群馬の農場で農業実習をしていました。  それが、数か月のうちに2人とも行方不明になってしまって、心配した友人が捜索願を出したんです。  それで、その友人が捜索の状況を知りたがっていまして……」 「その捜索願は警視庁に提出したんですか?」 「はい、そう言っていました。」 「行方不明になった友人というのは、群馬に住んでいたんですか?」 「はい、そうです。」 「そうすると、所轄は群馬県警になりますので、残念ですが私には分かりません。  それに、仮に分かったとしても、私の口から、届出者ではない真行寺さんにはお伝え出来ないんです。守秘義務があるので……すいません。」 「……そうですよね。」 「その届け出た友人の方が、直接県警に確認してもらえれば、教えてくれると思います。  それとも、届け出た方、日本語だと上手く聞けないとか、ですか?」 「いえ、そういうことはありません。  すみません。無理なこと聞いてしまって……」  私は、スアンが警察に不信感を持っていることを高宮さんに言えなかった。 「また、何かお手伝いできることがありましたら、連絡してください。  出来ることは何でもします。」 「はい。とても心強いです。ありがとうございます。  では、失礼します。」
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