6 東奔西走 その1

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6 東奔西走 その1

 翌日  占いの館の私の部屋  私はラウーラさんにスアンの身に起きたことを説明していた。  ラウーラさんは、手土産で持ってきた梅木堂の塩豆大福を食べながら、私の話を聞いていた。  ……そういえば、ラウーラさんは以前、精神的にストレスがかかると甘いものが食べたくなるって言っていた。 「そうか……大変ね、スアン……  でも、私たちに出来ることって言ったら、たかが知れているしね。」 「そうなんです。」 「うーん……  あっ、YUKIちゃん、食べて大福。こういう時は甘いもの。」  ラウーラさんが勧めた大福はすでに残り一つになっていた。 「大丈夫です。」 「あら、嫌い?」 「いえ、でも大丈夫です。」 「そうなの?」  ラウーラさんは最後の大福を食べながら言った。 「お茶、入れますね。」 「ありがと。」  ラウーラさんは私が注いだお茶を一口飲むと深いため息をついた。 「ふーっ……ミン、生きているといいけど。」 「はい。そう願っています。」  私は、これ程までに自分の鑑定が外れてほしいと思ったことは無い。 「下仁田には居ないのかしらね。」 「その可能性も捨てきれませんよね。  スアンが訪ねた時にたまたま居なかっただけかもしれません……」 「だよねぇ……」  チロリン  私とラウーラさんが同時にお茶を飲んだ時、テーブルに置いてあった私のスマホにメール着信の通知が来た。  スアンからのメールだった。  2人の視線はスマホに釘付けになった。 「YUKIちゃん。」 「はい。」  私はスアンから来たメールを開いた。  ラウーラさんは、取り敢えず、メールを見ないように、横を向いてお茶をすすった。  それでも、メールの内容が気になってしょうがないことが、手に取るように分かる。  私は、メールの内容を確認すると、ラウーラさんにもメールを見せた。 【グエン・スアンです。  メールで失礼します。  私、やっぱり何もしないで待つだけはいやです。ミンが大変なのに。  無駄かも知れないですが、ファイサルの脚が見つかった場所に行こうと思います。  ミンがどうなっているのか、ヒントがあるかも知れません。  でも、北海道が詳しくないので、よければYUKIさん、一緒に行ってくれませんか?  チケットの代金は私が払います。  とても忙しいと思いますけど、ダメですか?  よろしくお願いします。】 「YUKIちゃん、どうする?スアン、追い詰められているみたい……」 「行くっきゃないですよねっ!乗り掛かった舟には乗らないと。」  ……そうは言ったものの、私は行動力があるような人間ではない。  スアンの役に立てるのかな……足を引っ張ったらどうしよう…… 「さすが、YUKIちゃん。そう来なくっちゃ!」  ラウーラさんが励ましのつもりで私の肩を叩いた。ラウーラさんとしては軽く叩いたんだろうけど、私の肩はなかなかの衝撃を受けた。  いたた……  ◇  翌日  羽田空港の第2ターミナル 「スアン!」  スアンの姿を見つけた私は手を振った。  私の声に気付いたスアンは、振り返ると小走りにやって来た。  背中にはいつものリュックを背負っている。 「YUKIさん、ありがとうございます。一緒に行ってくれて。  断られると思っていました。」 「私もミンの事が気になるもの。  早く見つかって欲しい。」 「はい。ありがとうございます。」  スアンは何度も頭を下げた。 「いいの、いいの。大丈夫。」  私はスアンの顔を上げさせた。 「……あの、チケット代払います。」  スアンはリュックの中から財布か何かを取り出そうとしているようだった。 「それもいいの。私が決めたことだから。」 「それはダメですっ!私がお願いしたんですから。」 「本当にいいの。」 「だって……」 「スアンの納得がいくように出来る限りのことをしましょう。  そして、いつの日かスアンに笑顔が戻れば、それでいい。」 「……YUKIさん……」  スアンのつぶらな瞳が潤んでいる。  色々な思いがこみ上げているんだろうな…… 「じゃあ、搭乗手続をしちゃいましょう。」 「……はい。」  根室は遠い。狭い日本というけれど、捨てたもんじゃない。  私たちは、時間が合わないせいもあり、直行便で行くことを諦めて、新千歳空港経由で道東の根室中標津空港に行くことにした。  そこからはレンタカー。  久しぶりの運転なので少し緊張する。  空港名に根室と付いているけど、車で空港から納沙布岬までは4時間もかかるらしい。  なかなかのロングドライブだ。  機内での私たちは、あまり会話をしなかった。  どうしても気は沈みがちになるし、スアンは何かを考え込んでいる。  私は私で、中標津に着いた後のレンタカーの手続きや納沙布岬までの道のりのことなんかを考えていた。  道東方面は大きなエゾジカが突然車道に飛び出してくるらしい……  私の運転、大丈夫かな?  私たちを乗せて羽田空港を飛び立った便は、90分後、新千歳空港に到着した。  千歳では1時間しか時間が無かったので、私たちはカニ飯の空弁を買って、搭乗口の近くの待合席に並んで座って食事した。  食事は旅先での楽しみの一つだけど、気が沈んでいると、カニの味もあまり感じられない……  義務的に空弁を食べ終えた私たちは、中標津行きの便に搭乗すると、50分ほどで根室中標津空港に到着した。  北の大地に降り立った私たちは、すっかり雪景色となっている中標津の町を見回すと、突き刺すような寒さにブルっと身震いした。 「スアンは雪の降らない国の出身だから、この時期の北海道の寒さはこたえるでしょう?」 「はい、やっぱり寒いですね。でも、とても綺麗な景色です。」 「ここからはレンタカーで根室に向かいましょう。」 「はい。  YUKIさんは根室に行ったことあるんですか?」 「ううん。初めて。道東の方は来たことがないわ。  でも、この景色。北の大地っていう言葉がぴったりね。」 「ほんとですね。」  私たちはコンパクトな赤いレンタカーに乗り込んだ。  雪景色の中、慣れない雪道を運転している私は、車外の景色を楽しむ余裕もスアンと会話するような余裕もなかった。  もし、余裕があったとしても、根室に近づくにつれて高まるスアンの緊張が伝わって来て、弾む会話は出来なかったと思う。  車が根室半島に入ると、パチパチと丸く小さな雪あられがフロントガラスに当たり出した。  天気は下り坂。  はやく納沙布岬に着かないと……自然と気持ちが焦り出す。  暫く国道を走っていると、根室の市街地を抜けて、海沿いの道を進むようになった。  秋から冬に向かう太平洋は、時化て波が高く、岸壁に激しく打ち付けてくる。  もうすぐ納沙布岬だ。  スアンはうねる鉛色の海の沖の方を眺めているようだった。  カモメが数羽、海風に抗うように飛んでいる。  程なく車を走らせていると、ようやく納沙布岬の灯台が見えてきた。  岬の駐車場に車を止めると、私とスアンは、報道されていた四島のかけはしというモニュメントに向かった。  温かい車内から外に出ると、海から吹いてくる強い潮風に乗って、真横から雪あられが顔に当たってきた。 「くぅっ……ここ、寒いですね。」  スアンはパーカーのフードを深々と被って雪あられをガードした。 「本当、タイミング悪い……」  私もショルダーバッグで顔を隠して、雪あられの攻撃を防いだ。  私たちは島のかけはしのモニュメントの下に辿り着くと、具体的な目的もないまま、付近の地面やモニュメントを調べ始めた。  モニュメントの海岸側には灯火台があって、祈りの火が灯されていた。  その炎は、無慈悲な潮風に耐えるように懸命に瞬いているように見えた。  今は警察の規制線も解かれていて、事件現場であることを示すものはモニュメントのたもとに供えられた花束だけだった。  警察の鑑識の人が調べ終えた事件現場で私たちが何かを発見できるとは思っていない。  ただ、もしかしたら……一縷の望みにすがりたかった。  30分位あちこち調べたが、これといったものは何も無かった。この結果は想定内。  身体が芯から冷えてきた。震えが止まらない。これは想定外。  私とスアンがこの日本最東端の地に来た真の目的は、ファイサルの脚とおぼしき脚が何故ここにあったのか、そして、ミンにつながるものがないか、ヒントを感じ取るためだ。  どうしてここに脚が……ファイサルの脚だとしたら、どうして下仁田に住んでいた彼の脚が納沙布岬にあったのだろう?  そもそも、どうして脚を切断されたの?  理由は何?  事故なの?事故でなければ、誰が切断したの?  どこで切断されたの?  根室?……まさか、下仁田?  ま、まさか、生きているうちに……  私は、自分勝手に作り出した恐怖のせいで、喉の奥からすっぱいものがこみ上げてきて吐きそうになった。  ……疑問が疑問を呼ぶ。  分からないことだらけ……  日本最東端の納沙布岬。当然日没も早い。  気が付けば、辺りは夕闇に支配され始めていた。  ふと、スアンを見ると、スアンも頭の中が疑問で一杯のようだ。 「スアン、どう?ここに来てみて……」 「なんか、分からないことばっかりで……」 「本当ね。  でも、ファイサルの脚をここに置いた人間がいるんだとすれば、どうして、こんな見つかりやすいところに置いたのかしら?」 「なぜでしょう?」 「わざと見つかるように置いたのかしら?」  私は警察官でもなければ探偵でもない。訳が分からない。 「意図的に置いたのだとしたら、必ず理由があるはず……  ここ、納沙布岬にどんな理由が……  スアン、何か思いつくことはない?」 「……そうですね。なんで日本の端に脚を……分かりません。  どういうことでしょう……」 「長崎で見つかった左脚、あの脚もファイサルの脚だとしたら、どうして九州に?」 「日本の端と端?」 「そう、端と端……そこに何か理由があるのかしら?」 「端と端、ですか……」  私とスアンは、考えがすぐに行き詰って先に進まない。寒さで頭も回らない……  考えあぐねている時、海から突風が吹いてきた。 「きゃっ!」  雪あられの容赦ない攻撃に顔を背けて防いだ。  と、その時。  私が顔を背けたその先に、こちらを見ている人と一瞬目が合った。  ……合ったような気がしただけかもしれない。  その人物は、次の瞬間、姿が見えなくなっていた。  あれっ?  男性だった……それしか印象がない。  こんな日に私たち以外にも岬を訪れる人がいたんだ。  ……そろそろギブアップ……車に戻ろう。  ここにいても何も見つからないし、思考が停止して、何も思い浮かばない。 「スアン、車に戻りましょう!」 「はい、分かりました。」  スアンは凍える声で答えた。  南国出身のスアンには、この寒さはこたえるよね……  私たちは小走りになって駐車場に戻った。  雪あられがうっすらと積もっている車に急いで乗り込むと、車内は冷え切っていて、はーっと息を吐くと息が白かった。  私とスアンは同時にブルっと身震いした。  慌ててエンジンをかけると、エアコンの温度設定をマックスにした。  そして、すぐに根室中標津空港に向けて来た道を戻った。  羽田行の最終便に間に合うか、ギリギリの時間だ。  雪道に多少慣れた私は、気持ちスピードを上げた。  助手席のスアンは車窓から見える雪景色を見るともなく見ているようだった。  気付かないうちに、外は晴れ間が広がっている。 「疑問が解決しません……」  スアンが落胆したように、ボソッと呟いた。 「うん。……そうね。  誰かが意図的に置いた可能性が高いことは分かったけど……」 「ファイサル、もう亡くなっていますよね?両脚、切断されているんですか ら…… 「でもまだ、そうと決まった訳ではないから……」 「いいえ。YUKIさん、納沙布岬にあったのはファイサルの脚です。  私の勘ですけど、そう確信しました。  絶対にミンじゃないない……」 「……うん……」  私は、あいまいに返事をした。 「そう言えば、スアンとミンは付き合って長いの?」  私は、スアンの口から楽しい話を聞きたくて、話題を変えてしまった。 「はい。最初に知り合ったのは、日本でいう中学生の時です。」 「何歳の時?」 「14歳です。クラスは違ったんですけど、ある日、地元の夏祭りがあって、私と仲のいい友達のグループとミンがいたグループでデートすることになったんです。  そこで初めて知り合いました。  私たちの町、町の中央を川が流れているんです。夏祭りでは、その川岸に生えている植物の葉で小舟を作って、その川に流すんです。」 「楽しそう。」 「大人も子供もみんなで流します。そして、自分が作った小舟が川岸や川の中の岩なんかに引っかからないで見えなくなるまで流れていけば、その年に幸運が訪れるって言われています。」 「小舟、うまく流れていくの?」 「いいえ。ほとんどの小船は川のどこかに引っかかってしまうんです。」 「難しいのね。」 「はい。デートした時も、みんなで一緒に流したんです。  そうしたら……どうなったと思います?」  スアンが楽しそうに訊いてきた。 「うーん……スアンの小舟が引っかからずに流れて行った?」 「残念です。私たちの小舟は全部引っかかってしまいました。  ただ、偶然、ミンと私の小舟が川の流れに揉まれて重なり合ったんです。  そして、重なり合ったまま川の真ん中にある大岩に寄り添うように引っかかって止まったんです。」 「うん。」 「それを見て、ミンと私は目を合わせました。」 「うん、うん。」 「その瞬間、私、これからミンと付き合うんだって直感的に感じたんです。  ピンとくる、って言うんですか?」 「そう。お互い波長が合ったのね。」 「そうです。」 「そして、現実になった……青春だねぇー。」  スアンとミンの話を聞いていると、私も中学生時代に戻ったような気になる。  スアンは、その時のことを思い出しながら、楽しそうに話していた。  やっぱり、スアンには笑顔がよく似合う。 「もう、10年近くのお付き合い?」 「はい、そうです。  ……そう……もう10年も付き合っているんですね、ミンと私……  早く……ミンに会いたい……」  スアンは声を震わせた。  あちゃ~、余計に悲しませてしまった…… 「スアン、信じましょう。きっと大丈夫。スアンの願いが届いているはず……」 「……はい。」  再び車内の空気が重たくなってしまった。  私たちはレンタカーのFMラジオから流れてくる音楽を聴くともなく聴きながら中標津町に向かった。  根室中標津空港にたどり着いた頃にはすっかり日が暮れていて、私たちはギリギリのところで羽田行の最終便に搭乗することができた。  飛行機が無事離陸すると、私は、慣れない雪道を運転していた緊張から解放されて、急に疲労感に襲われた。  無意識のうちに目を閉じると、隣にスアンが座っているにもかかわらず、意識を失くすように寝入ってしまった。  ハッとして目を覚ました時、飛行機はすでに下降を始めていた。  隣に座っているスアンは、私が目覚める時を待っていたかのように話しかけてきた。 「あの、YUKIさん。私、長崎にも行こうと思います。  それで、あの、図々しいとは自分でも分かっているんですけど、長崎、一緒に行ってもらえませんか?」  スアンは申し訳なさそうな表情になっている。 「えっ?長崎?  うん。一緒に行くね、長崎。」  私は二つ返事でOKした。  私としても、このままでは終われない。  根室では発見できなかったものが、長崎では発見できるかもしれない。  根室の発見場所と長崎のそれでは、何が同じで何が違うのか。  長崎の地に立って、そこの空気に触れると何か掴めるかもしれない。  私とスアンが決意を新たにしていると、飛行機は羽田空港の滑走路に着陸した。  私は、明日また羽田でスアンと落ち合う約束をして、空港を後にした。 電車を乗り継いで目白の賃貸マンションの自室にたどり着くと、倒れ込むように居間のソファに横になった。  一日いなかっただけなのに、一週間ぶりに返ってきたような感覚。  振り返ると長い一日だった……  東京から納沙布岬に日帰りで行ってくるなんて、最初で最後だと思う。  明日は長崎佐世保。  スアンとミンのためにも、何でもいいから手掛かりを掴みたい。
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