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あまりにも無茶が過ぎる話だった。大体、主神である自分を差し置いて、引退してなお権威を振りかざす父とその仲間たちでこんな計画を決めてしまうとはどういう了見なのか。
――この様子。もし僕が計画実行を渋れば……父たちは自分達で洪水を起こして、地上を洗い流してしまうだろう。
なんとか、止める方法はないものか。僕は悩みに悩んだ末、地上に降り立つ決意をしたのだった。
お忍びで地上に降りるなど僕にとっては慣れたものである。人間の若者の姿に変身し、僕は小さな村にやってきた。地上に降りる時は、人間の旅人である“トーマス・アドラム”という名前を名乗っている。僕が本当は神であると知っているのは、神の声を聴く力を持つクリストファーのみだ。
「おや、親愛なるトム。今日は何の御用でしょう?」
クリストファーは、村の小さな研究所で薬の研究をしている科学者だった。彼の仕事内容に関しては、僕も詳しく知っているわけではない。以前説明してもらったが、難しすぎて僕にはちんぷんかんぷんだったというのが正しい。
屋内の研究所に籠っていることが多いせいで、彼はちっとも日焼けしていない。長い銀髪を背中でひとまとめにした美青年は、、僕の姿を見ても特に驚く様子もなく、いつものように紅茶を出してくれたのだった。
だから、あっけにとられたのは僕の方だったのである。彼には、天国でどのような議論が交わされているのか、全てでなくても聞こえていたはずなのだから。なんの御用か、なんて言ったところで用件などわかりきっているはず。何故そんなに落ち着いていられるんだろう。
「おい、クリス。なんであんたはそんなにのんびりしていられるんだ」
僕は呆れ果てて言った。
「うちの親父たちが何の話をしていたか知っているんだろう?ノアの箱舟とやらをあんたに作らせて、地上を洗い流してしまおうって言ってるんだぜ?そうなったら当然、この研究所どころかこの村も何もかもなくなっちまう。選ばれた人間や動物以外は誰も生き残れやしない。あとはもう、僕が魔法の言葉を唱えればすぐなんだぞ」
「そうですね」
「いや、だからそうですね、じゃないって。僕があんたの立場だったら、慌てずにいられないってのに」
彼の様子はいつもと変わらない。というか、彼のみならず村の人々の様子も変わらない。クリストファーは、家族や友人達に、自分が聞いた神々の声を伝えてはいないのだろうか?それとも、みんな知った上で運命を受け入れているのか?
「……存じております。ですが、私は件の話を、家族にも友人にも伝えておりません」
何故ならば、とクリストファーは続ける。
「私は、箱舟を作る気がまったくないからです」
「え、ええ?そりゃまた何でだ?箱舟を作らなきゃ、大洪水から逃れることができない。あんたは生き残ることができないんだぜ?」
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