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「それがまず、大きな間違いというものです。ノアの箱舟を作ったところで、箱舟に避難したところで……我々は生き残ることなどできません。みんな死にます。それが現実です」
「!?」
彼は僕に、この箱舟計画の問題点を冷静に話してくれた。
まず、箱舟に乗る人間の選定。クリストファーには、家族以外にもたくさんの友人知人がいる。海の向こうにだって研究仲間はいる。家族だけ救ってくれたとて、その者達の命が救われないのでは何の意味もない。そもそも、命だけ助かっても、長年築いたこの研究所や故郷の村がなくなってしまってはどうにもならない。
また、別の神様の神話の通り、動物の一組ずつの番だけ避難させたところで子孫は繁栄できない。最初の子供達はいいとして、そのあとは子供同士で繁殖させろというのか?どんどん血が濃くなる危険性は、現在の研究では明らかである。
さらに植物はどうなのか。動物と人間は避難させられても植物が避難できない。大洪水で地球上を洗い流してしまえば、植物もすべて全滅する。まず、植物を食べる動物たちが死に絶えるだろう。そして次には、植物を食べる動物たちが。人間だってその食物連鎖から逃れることはできまい。
大体、人類の科学文明が害であるというのなら、その汚染物質を海に流してどうする気なのか。ビルや工場、建物の残骸がどっと海に流れ込めば、海が汚れ果ててしまうことは必至。魚だって生き残ることはできなくなるはずだと。
「さらには。……今の人類はビルがあり、安全な居住地があり、畑があり、工場があり、乗り物があり……そういう世界で生まれ、生きて来た者達です。そういった文明が全てなくなった世界で、数万年前と同じ生活をして生き残ることができるとお思いですか?」
「そ、それは……」
「そもそも、箱舟の存在が知られた時点で、洪水より前に争いが起きることは必至。神の声を聴くことができる能力者とて私だけではないはず。そのうち、この村に、私の箱舟を奪おうと襲撃してくる者が現れることでしょう。そうなれば、私のようなか弱い人間など簡単に殺されてしまう。洪水以前に、争いによって人類が滅ぶ可能性も否定できません」
よって、とクリストファーは続けた。
「私は無益な争いを生む箱舟を作るつもりはありません。そして、命の選別も致しません。生き残るべきではない人間など、この世には存在しないからです。何より……価値を失った世界で僅かばかりの時間を生きるくらいならば、洪水や暗殺で死ぬ道を選びます」
僕はあっけにとられるしかなかった。箱舟の計画は、どうやら僕が思っていた以上に無茶で合理性のないものであったらしい。
確かに、堕落した人間がいくら許せないからといって、そのしわ寄せを大地と植物に背負わせるのは言語道断だろう。そして、選ばれた人間たちが本当に生き残ることができるかどうかさえ度外視している。
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