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第三話 怪談の現場
時間は十九時。
七月のこの時間はまだ空に橙色が残っている。
学内に薄い西陽が差し込み、濃い影とのコントラストを作り出していた。
菜々美と義弘が図書室を後にすると、帰宅する担任とすれ違い、「早く帰れよお」などと言われた。
「…で、何だって、わざわざこんな時間にその場所に行くんだ?」
練習で熱った体が冷めない義弘は、途中、学内に設置している自販機で、缶ジュースを買った。
蓋を開けて、ぐびぐびと飲み干す姿に、菜々美ほどの緊張感はないことが解る。
「何となくだよ。日中は、移動教室で私も通ったし…ほら、栞たちは人気のない時間に行ったと思うから」
「あー、まああれか、幽霊とかは何故か人の少ない所や時間帯に現れるイメージあるからな。“出た”とか、“見た”とか、そういうやつ」
「そうそ、それそれ」
「…でもお前、信じてないんだよな?」
「まぁ…」
「…でも、一人は怖いって?」
「…まぁ」
「……本当に出たら、俺どうしたらいい?」
「…え?」
会話もそこそこに、ほどなくして“噂の廊下”に着いた二人。
だが、特に何ともない、いつもの廊下。それはそうだろうと、義弘は肩を竦めた。
二人が会話を止めると、静まり返るが
とにかくいつもの廊下だ。
「でもよ、栞と安達先輩が夜中に学校に来たとして、どうやって建物内のこの廊下に入り込んだんだ?」
「…そんなの、ここをこうしておけば」
菜々美は、廊下の窓の一つの鍵をカチンと開けて見せた。
「え?嘘だろ?最後の見回りの先生が確認すんだろ?」
「いや、それが意外と見逃すんだってさ…栞言ってた」
栞の話によれば、最後の見回り時、窓の一枚までしっかり見る教師もいるが、全教室の鍵を確認するだけで終わりにする教師もいるらしいというのだ。
“宿直もいる”と、手を抜くのだろう。
「はああ、そういうもんかねえ」
「先生達も“人”だから、サボる人もいるってことよね」
「…まぁ、それはそうと、ここで何したらいいんだ?」
いつの間にか外の空の橙色も、群青色に飲み込まれるように暗くなっていた。
廊下は、蛍光灯が点灯しているので、明るいが、それでも普段人のいる場所に人気がないというのは、寂しく感じるもので、決して幽霊など信じてはいないとはいえ、怪談話の現場となると、それとなく雰囲気を感じた。
「“何か”起きるのを待つのか?本当に栞と先輩、ここに来たのかも分からないんだし」
「それはそうなんだけど…」
「…さすがに今日帰って来なかったら、親も警察に通報すんじゃあねえの?」
「んー…」
義弘の言う通りかもしれないと思い始めた菜々美だったが、廊下の端に、小さな何かが目に入った。
「ん!?」
菜々美は屈んでそれを拾う。
隅のゴミに塗れ、おそらくここを通った生徒たちに気付かれず踏まれ、蹴られたのが窺えたが、見覚えのあるそれは栞が普段耳につけているフェイクピアスの片割れだ。
「こ、これ、栞がいつも付けてるやつ…」
義弘は訝しげな顔で、菜々美の手のひらの上のピアスを見た。
「マジ…?」
「間違いないって。一緒に遊びに出掛けた時に、可愛いって買ったやつだから」
ここに“何かある”と思った菜々美だからこそ見つけたのだろう。
義弘は参ったなあという顔を浮かべた。
昨夜、ここに栞がいたことはこれで可能性が出てきたとして、その本人たちがどこに消えたのかということになる。
たまたまピアスを落としただけで、ここから何事もなく移動したことも当然考えられた。
「と、とにかくだ…これ以上ここにいても始まらないし、菜々美から栞の親に相談してみないか?そうしたら警察に連絡するかもしんねえし」
「うん…」
頷いた菜々美が、噂の廊下を背にした時だった。
一瞬、一箇所の蛍光灯が、チッカン…とあの独特の音を立てて暗くなった。
背後の蛍光灯が消えたことは、振り返らずとも薄暗くなり、分かった二人。
だが、菜々美はその瞬間、何か気配を感じた。いや、気配というより悪寒だ。
ゾワッとした菜々美は、踵を返した。
それと同時に、蛍光灯はピンッと音を立てて点灯した。
「…っ!!」
その蛍光灯が点灯する刹那だった。
菜々美は“人影”を見たような気がした。
あまりに一瞬のことだった。
しかしここは怪談の現場。その上に友人が消えたとあって、恐怖心が増している。だから目の錯覚といえば、そうなのかもしれないとも思ったが…
「ねえ、義弘さ…」
「あ?」
「今見た?」
「…何?電気が切れかけた蛍光灯か?」
「じゃなくって…」
「は?何?」
「…んもうっ、いい!」
菜々美はぷうっと顔を膨らませ足早に下駄箱に向かった。
そんな彼女の後ろ姿を見た義弘は、訳が分からなかった。そして振り返り、蛍光灯をじっと見つめる。
「……んー、何?」
また暗くなるかと思ったが、そんなことはなく、白くひかり続ける蛍光灯。
そして首を振ったあと、駆け足で、菜々美を追いかけるのだった。
だが、そのあと、蛍光灯はもう一度点滅したが、義弘は気づかずに走り去ってしまった。
昇降口で靴を履き替えた二人が学校を出ようとすると、目の前に一人の男が現れた。
ダークグレーのジャケット、お揃いの色のズボンに、ワイシャツにノーネクタイだが、清潔感がある中年男性だ。
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