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第四話 青山教会の牧師
「福田先生!」
菜々美が男の顔を見て、少し驚いたようにそう呼んだ。
「やあ…確か二年生の…井上さんだったね。そっちは、黒澤君」
少しくたびれた感はあるが、清潔感があり、優しい紳士と言った風なその中年男性こと“福田先生”は、港区にある青山教会の牧師である。
キリスト教系の、それもプロテスタント系の私立校である聖華学園は、“全日本キリスト教団”との関係があった。
その教団傘下である、港区内の教会が週に一度、聖華学園にキリスト教の話を教えに行くということを数年おきに交代で担当していたのだが、今年からは福田牧師の青山教会が担当となったのだった。
「先生、こんな時間にどうしたんですか?」
菜々美が驚いたのは当然だ。
毎週の火曜、午前中に学年ごとに学内の聖堂で行われるのが、福田牧師の授業だ。
こんな時間にいることはまずないの人物なのだから。
「いやいや、うっかりというか、牧師ともあろう者が、“これ”を忘れてね」
福田牧師は、くたびれた“新訳聖書”を見せた。
午前中、夏休み前最後の授業に来て、学内の礼拝堂に起き忘れた私物の聖書を取りに戻ったとのことだった。
「君たちは今から帰りとは、随分と遅いんだね」
義弘は部活があり、菜々美は彼に用があって終わるのを待っていたと説明する二人。
話を聞いて頷いた福田牧師は、二人と正門まで一緒に歩いた。
実際のところ、キリスト教にそこまで興味のない菜々美は、福田牧師と積極的に会話をすることはこれまでなかった
逆に言えば、義弘のことも含めて、よく名前と顔を憶えていたなと、感心させられた。
「…先生」
「ん?何だい?」
「先生は、”幽霊”とか信じてます?」
菜々美はふと思いついたように尋ねた
福田牧師は、顎に手を当て、少し間を空ける。
「…亡くなられた方は、皆天に召されるとか…きっとそういうことを聞きたい感じではなさそうだね?」
義弘は、菜々美の肩を軽く叩いて「変な質問するなよ」と注意をした。
「いいじゃない別に…」
そんな二人を見て、福田牧師は首を横に振った。
「はは、構わないよ。そうだね、いないとは言い切れないかな」
福田牧師の答えに、菜々美と義弘は、一瞬お互いの顔を見た。
「福田先生は、“そういうの”見たことありますか?」
「また随分とストレートな質問だね。何だか君の口調には何か“リアル“なものを感じるよ」
福田牧師は、笑いながらそう言った。
菜々美は、鋭い指摘にドキッとした。
「…いいかい、人の死後、その魂がどうなるのかは、本当のところ私にも解らない。ただ、この世に残る魂については、興味半分に触れてはいけないことは、よく知っている」
礼拝堂ではしないような話に、菜々美も義弘も少しだけ驚いた。
「どういう意味ですか?」
訊き返す菜々美。
「言葉通りだよ。夏休みだからって、興味半分で“肝試し”なんてしてはいけないよ」
正門を抜けて、学校敷地外に出ると、福田牧師は、二人に挨拶をして、教会のある方へと去って行った。
教会は自宅も兼ねており、妻子もそこに住んでるそうだ。
二人も駅の方へと歩き始めた。
「…とりあえず、栞んち電話な」
義弘にそう言われると、菜々美は“うん“と頷いた。
二人は電車に乗るまでは一緒だが、義弘は乗り換えがあり、新宿駅で降りた。
手を振る菜々美は、そのまま東中野までその電車に乗るのだった。
自宅に着く頃には二十時半をまわっていた。
夜分に失礼とは思ったが、栞の自宅に電話を掛けた。
「…あ、もしもし、こんな時間にすみません。井上です」
電話には母親が出たが、栞はやはり帰って来ていないという。
だが、母親のその口調は、何とも呑気なものだった。
栞の母親は、まだ三十代半ばと若く、自由奔放な娘に対しては、自らもそういう青春を過ごしたからなのか、うるさくはない。
高い月謝の私立高で、落第しなければいいくらいの家庭環境だ。
そのことに関しては、実に何とも言い難いことなのだが、成績は実は菜々美より、栞の方が良いと来ている。
夜遊びもするが、危険な人物との交流もなく、夜の街に遊びに行くようなこともしない。
だから母親も娘を信用しているのだ。
共働きて留守がちな家でもあり、いまいち菜々美の感じてる不安を伝えるのは難しい。
栞が行方不明という根拠も証拠もない中、菜々美は母親に上手く説明出来ないまま、電話は切られてしまった。
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