その骨には鎖がついていた

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収監されて3週間は基礎的な訓練を受ける。 集治監での過ごし方を学ぶのだ。 規律ばかりで自由がないのは監獄なので当たり前だが、何より堪えたのが寒さだった。 よりによって北海道とは…… このご時世、自由民権運動の取締で大量の逮捕者が出てしまい、内地の監獄はどこも囚人たちであふれかえっていた。 そのため、次々に新しい監獄が北海道に建設されていったのだった。 月形(つきがた)三笠(みかさ)釧路(くしろ)網走(あばしり)十勝(とかち)、北海道には監獄が5つもある。 北海道の人口を考えると、この監獄の数はあまりにも多すぎる。 逮捕者の多さが監獄の数に表れているといえるだろう。 囚人のほとんどが内地からの移送だ。 北海道の監獄なのに、北海道の者はほとんど収監されていない。 なぜ、北海道に監獄を建てるのか。 理由は明白である。開拓の労働力として使うためだ。 すでに、札幌~旭川間の道路は、囚人たちによって拓かれて、開通していた。
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