ウミカゼ

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 やあ、久しぶりだね。  また会えて嬉しいよ……元気にしてたかい。  かつて過ごした故郷の丘の上。塩の香りを味わいながら、僕は三人の親友に向かって笑いかける。波の音を聞くだけで、小学校時代の思い出が脳内で簡単に再現できる。あの頃は当然のように四人一緒にいた。  みんな、相変わらず変わらないね。  川で遊んだ日のこと、覚えてる? 早朝から自転車を走らせて、日が暮れるまで永遠に水をかけ合ったり、岸まで競争したりして。  あの時のことが忘れられないんだよ。楽しすぎてさ。  水切り対決で優勝したのって、南くんだっけ。  最高十二回の記録、今でも超えられそうにないや。  島野の釣りも凄かったな。  お前が釣ったヤツより大きいのはお目にかかれないだろうね。  原ちゃんは相変わらずだったよね。真っ先に川に飛び込んだら、足嵌って抜けられなくなったんだっけ。ははは。  ああ、駄目だ。笑いすぎて涙が出ちゃう。  そうそう。この前やっと僕の書いた小説が賞取ったんだよ。昔から話してただろ? 物語を創る仕事をしたいって。それがやっと叶ったんだ。  何だよ、反応薄いな。もっと祝ってくれてもいいじゃないか、この野郎。  全く……期待した俺が馬鹿だったよ。薄情者どもめが。  でもまあ、お前らと居るとやっぱり安心する。心が安らぐというか。裏表なく想いを打ち明けられるというか。頑張って良かったと思うよ。お前らとの約束叶えるために。  ………………。  おっと、もうこんな時間か。僕この後用事があってさ。  そんな顔すんなよ。近いうちにまた来るからさ。今度は東京の土産物持って来るから、酒でも飲みながら駄弁ろうよ。  それじゃあ、またな。  この辺冷えるんだから、風邪とか引くなよ?  僕はそう微笑むと、ビニール袋から三本の白い花束を取り出し──。  ……墓石の上に、それぞれ添えた。  南。島野。原田。  かつての親友たちの苗字が、痛い記憶と一緒に刻まれていた。 「………………」  こいつらの前では絶対に見せない。そう決めていた涙も、墓石に背を向けた途端に止めどなく溢れ出てしまう。  歯を食い縛り、涙を拭った。墓の前で聴こえていた笑い声はもう聴こえない。あの日の思い出も、霞が掛かった様に見失なってしまった。  代わりにと言わんばかりに、あの日の記憶が蘇ってくる。  未曾有の大災害が生み出した惨状と、目の前で三つの命が散っていく様。悲鳴が背後で響いたのを最期に、かけがえのない大切な日常が、どす黒い津波の中に呑み込まれていく。  身体の内側が塩漬けになるような感覚に陥り、思わず噎せ返ってしまった。  どうして。  どうして、僕だけが生き残ったんだろう。  そう嘆いたところで、嗚咽も涙も、無知な潮風が曇天の彼方へと吹き飛ばしてしまう。  歩を進める道中で、彼岸花の群れが踊っていた。崖を下る度に、重機車両の唸り声が徐々に大きくなっていく。災害の爪痕を埋める復興作業が数年経った今でも続いていることが容易に想像できた。  本当は怖かったんだ。こうしてお墓参りに来ることも。お前らが死んだ事実から逃げられなくなるから。あの悍ましい記憶の一片に閉じ込められて、抜け出せなくなりそうだったから。  じゃあな、お前ら。さっきまた来るって言ったけど、やっぱり辛いわ。  最悪、二度と来れないかも。  今日みたいな覚悟はできないかもしれない。  永遠の別れを告げようと、もう一度崖の方へと振り返る。  三つの墓石を護るように佇んだ針葉樹が、荒々しく樹冠を揺らしていた。  胸騒ぎがする。  海沿いならよく見る光景なのに、何故か目を離せずにいる。  透明な手が伸びて心臓を強く握り潰しているような、異様な感覚だった。  ……何だよ、お前ら。怒ってるのか?  こっちの気も知らないで。辛いのはお前らだけじゃないんだぞ? こっちだって痛くて仕方ないんだ。  声にすらならない弁解を、けたたましい大気の音が一挙に掻き消した。恐怖のあまり、僕は後ずさってしまう。重機の音を相殺する自然の怒りを受けて、石のような身体が一度だけ痙攣する。  大樹のわななきが一層強く響き渡った。波の打ち付ける音が、はっきりと木霊する。曇天の下で海風が咆哮を上げ、剥がれそうになるほど鼓膜を揺らした。  ──この弱虫。  ──いつまでメソメソしてんだ。  ──もう立派な大人だろうが。  この風音が叱責に聞こえてしまう僕は、いよいよ末期なのだろう。大地を震わす重低音を甲高い子供の声に変換するなんて、僕はとうとう狂ってしまったのか。  ──俺たちの分まで生きろよ。  ──勝手に責任感じてんじゃねぇよ。  ──お前の覚悟はその程度か?  自分を嘲るように、そしてあいつらをからかうように、鼻で笑った。  死者の声なんか聞こえるはずがない。だのに海風の些細な音の変化が声音からくる感情の起伏のように感じてしまって、思わず額を抑えた。  この、薄情者どもが。  指の隙間から溢れる涙は、自分でも驚くほど温もりがあった。 「この、薄情者どもが」  今度ははっきりと、言葉に乗せた。  涙をぐいっと拭い、真っ直ぐと崖を見据える。針葉樹の雄叫びも風の轟きも、僕の決意を聞くためか音量を抑えていた。  分かったよ。僕が悪かった。  いつまでも落ち込むのはやめる。  肺いっぱいに潮の香りを吸い込む。思わず噎せそうになったけど、絶対に吐き出さない。今この瞬間を絶対に風化させないためだ。  前言撤回だ。やっぱり今度のお土産は、自分の本にするよ。誰かに評価されて、ちゃんと形になった努力の結晶。それをお前らに最初に見せつけてやる。  そしたら今度こそ、四人で祝杯を挙げよう。味気ない灰色の墓石を、ビールとかワインの色に染めてあげるよ。ついでにこの忌々しい塩の匂いを僕たちで酒臭くしてやろう。  その時になるまで、いつまでも崖の上で昼寝してればいいさ。 「……待ってろよ、お前ら」  夢、叶えてくるから。  そう呟いて、今度こそ僕は踵を返した。背中を押す荒々しい風がどういうわけか頼もしく感じる。  その日は二度と、後ろを振り向くことはしなかった。
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