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偶像
キーボードにSを打ち込むと、予測変換で貴方のアカウントのIDが出てくる。ハンドルネームは『魚』、通称魚さんの更新が止まってから、今日で一年が経った。最後の呟きは彼女の御家族が、魚さんの死を告げたものだった。事務的な文章だった。あの数行の訃報の向こうに、どれだけたくさんの涙があっただろう。素直にそう思えるくらいに、彼女は生きているに相応しい、同時に何かと荒んだこの現代に生きるには相応しくない友人だった。
『一件の通知が届いています』
青く光るその画面を指で叩き、なぞる。さっき投稿した新作の小説に感想を投げてくれた人がいたようだ。手紙みたいな長文のそれには、ここでの僕を示す『やまびこさん』の単語が何度も出てきた。勢いのままに、文章を整える間もないくらい興奮して打った感想なのが伝わる。やまびこさんの情景描写が好きだとか、やまびこさんの叫びを感じる台詞回しが好きだとか、いろいろ書いてあったそれは最後に、この一文で締め括られていた。
『ありがとうございます、やまびこさんの作品に救われました』
全てのSNSを閉じた。だらしなく布団に身を横たえ、両手で目を覆う。ギリ、と歯を軋ませる。
ハンドルネームを『やまびこ』にしたのは、別に新幹線が好きだったわけじゃない。小学五年生の遠足で、どこかの山に登った。山に向かって叫ぶとこだまが返ってくる、やまびこを楽しんで、クラスメイトは口々に好き勝手な言葉を叫んでいた。名前も忘れた誰かが僕の肩を小突いて、お前も何か叫べよと茶化した。自分に集まる視線の中、大声を出せるほどの度胸も、気の利いたことを叫ぶ愛嬌もなくて、押し黙るしかなかった僕に、そいつは一言「つまんねえ奴」と吐き捨てていった。なんでみんな、自分の声が大きく響いて自分の元に返ってくるのが楽しいんだろうと思った。だが、一人だけそれを楽しめないでいる僕は、自分で自分の声を否定しているようで、そんなふうに考えると、何だかもう無性にみじめで、何もかもが哀しくなるのだった。
そんな経験を創作に昇華したくて、やまびこの名の下、書き続けた。あの日、僕をつまんねえ奴と一蹴したクラスメイトのことも、嫌いだった先生のこともボロカスに書いた。自分の怠惰の全てを世界のせいにする文章を、小綺麗に整えて書き続けた。いくらでも見栄を張れる仮想空間だ。所詮、偶像でしかない僕の言葉に『救われました』とか、笑っちまうよ。僕なんかに騙されるなよ。僕に、僕は綺麗な言葉で人を騙してるって思わせないでくれよ。
「僕の言葉で人が救えるってんなら、なんで魚さんは自殺したんだよ」
光らない画面の向こうに、呪詛みたいな言葉を吐く。上顎に舌が張り付く。不健康な喉の渇きが、夏を思い出させる。耳をくすぐった、彼女の声を思い出す。
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