000「書生と花売り」

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「ど、どうしたんですか叔母さん」 「浅葱くん、大変よお!大変よお!」  叔母は浅葱の胸でわんわんと泣き崩れてしまう。浅葱は彼女の手に握られている紙を見て、“もしや”と顔を青くした。皺になったそれを開くと、それは浅葱に宛てられた軍の召集令状。つまり戦場への呼び出しである。  ……確かにこの国は戦争をしているが、一般人が招集される程、戦況は良くないというのだろうか。国王も官僚達もまるで勝者のような顔をしていたのは、虚勢だったというのか。  浅葱は絶望に打ちひしがれた。これまで勉強一本だった自分が、臆病で虫一匹殺せない自分が戦場に出て、一日でも生き残れるとは思えない。浅葱にとって召集令状は、死刑宣告と同義に思えた。志半ばのまま、椿を救えないまま、国の為に死ねと言われている。  それからというもの浅葱は、勉学に手が付かず食事も喉を通らず、ただひたすら出頭日に怯えるばかりだった。いっそ病に臥せてしまおうと、夜通し裸で水浴びをしたこともあったが、昔から風邪をひきやすい軟弱な自分はこういう時に限って、謎の丈夫さを発揮した。 「どうしよう、どうしよう、どうしよう」  浅葱は布団に潜り頭を抱えた。もう明日、発たなければいけない。嫌だ、嫌だ、嫌だ。戦場になど行きたくない。死にたくない。召集を知らされてから毎日のように泣き暮れていたが、どうやら涙はまだ枯れていないようだった。  ふと滲む視界の端に、薪割り用の斧が立てかけてあるのが見える。浅葱は取り憑かれたようにフラフラとそれに近づくと、柄を握りしめた。そして刃先を己の二本の足に向ける。 (足さえ無ければ……足さえ無ければ!)  偶然の事故で足を失ったことにすれば、召集から逃れられる。戦争に行かなくて済む。大丈夫だ、すぐ処置すれば死にはしない。歩けなくなるのと死ぬの、どちらが怖いかなど決まっていた。  浅葱が震える手で遂に斧を振り上げた時、凛とした声がそれを制止する。 「何やってんのよ。意気地無しのあなたに、そんな事ができるわけないでしょ。馬鹿」 「椿……」  椿は部屋の戸口に寄りかかり、馬鹿な幼馴染に嘲笑を浮かべていた。浅葱はここ数日ずっと会いたかった彼女の姿に、膝から崩れ落ちる。 「椿、どうしよう。僕はどうしたらいい」 「叔母さんから話は聞いてるわ。あの人もこんな仕事してる女を、よく家に上げる気になるわよね」  椿はそう言うと浅葱に近づき、その手から斧を捥ぎ取った。 「あ!」 「あ!……じゃないわよ。馬鹿がやることって本当に単純ね。あなた学校で何を学んできたのよ」  やれやれと肩をすくめる椿に、浅葱は神妙な声で言った。 「椿、僕の足を斬ってはくれないか」  椿は一瞬だけ驚いた様に目を見開いたが、すぐに冷たい目に戻ると鼻で笑い飛ばした。 「ハッ、最低!女に随分なことさせるじゃない。いいわよ、一瞬で終わらせてあげるわ。目を瞑りなさい」 「……ごめん」  浅葱は目を閉じた。今に、生まれた時から共に過ごしたこの足が無くなるのだ。椿と野を駆け山を駆けたこの足が無くなるのだ。恐怖と悲しみとでおかしくなりそうだったが、それを彼女の手が下すのならば、いくらかはマシだと思える……。  しかし、いつまで待っても痛みが訪れることはなかった。まだ足先の感覚もある。意地の悪いところのある彼女の事だから、自分が目を開けた瞬間に斬るのか?と、考え込む浅葱の耳に、パサリ、と何か軽いものが落ちる音がした。
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