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『頼むよ、ケルベロス』  私が呆れて物も言えなくなったと思ったのか、宅間は私の情に訴えることにしたらしい。 『最悪、遊川は逮捕されなくてもいい。だけど、俺が自殺したって周りに思われることには耐えられないんだ。俺の死が殺人だったってことだけでも証明したい。だから、頼む。ここから出してくれ』  私は人間ではないが、人の気持ちが百パーセント理解できないわけではない。彼の無念のほどは十分に察せられる。  かといって、彼の想いに答えてやる義理はない。それどころか、私の使命は一刻も早く彼を食らい尽くすことである。  私はいよいよため息をつき、宅間に言う。 『冥界の扉に書かれていたはずだ。番人の許可なく扉を開いた者は、私に食われることになると』 『わかってる。覚悟ならできてるよ。ほんの少しの時間だけでいいんだ。俺の死が殺人だと気づいてもらえるだけでいい。それだけの時間をくれないか』 『私は番人ではなく番犬だ。そのような権限は持ち合わせていない』 『そんな』 『だが』  私は目を落としていた白い札から、我が主の健やかな寝顔へと視線を移す。 『おまえの処遇を決めるのは、そこに眠る我が主……彼が今の冥界の番人だ。現時点で我が主は、私におまえを食うなという命令を出している』 『それって……?』  自分でも気づかぬうちに、私は微笑を浮かべて言った。 『我が主には、おまえの心に寄り添うつもりがあるということだ。お優しい心をお持ちの我が主によくよく感謝するといい』  宅間の手前、我が主を「優しい」と表現したが、つまるところ我が主は超がつくほどのお人好しなのである。困っている人を放っておけず、その人のために我が身を削る。それが今の私の主――双木涼平というお方なのだ。  我が主の目もとに一瞬の力みが走り、まぶたがゆっくりと細く開かれる。私の顔が目の前にあると知るや、彼は寝起きだと一目でわかるぼやけた表情で私に笑いかけてきた。 「おはよ」  まるで自宅で朝を迎えたかのような挨拶に気が抜けそうになる。お人好しの性格といい、美菜帆とはさまざまな点において血縁者とは思えないほどの違いを感じる。 「よく眠れたか」 「うん。スッキリ」  体調が悪そうには見えない。我が主は腹のあたりまで掛かっている布団をはね除けて起き上がり、足をベッドの外へと下ろす。そこでようやく枕もとに白い札が置かれていることに気がついたようだ。  札を手に取り、私に言う。 「なにか話したの、宅間さんと」 「少しな」 「宅間さんはなんて?」  私はやや答えにつまる。我が主の瞳が強い好奇心で彩られていくのがわかり、彼が今回も他人の人生に――すでに終わった人生であるが――首を突っ込もうとしていることは明白だった。  だが、答えないわけにはいかない。私は彼に仕える忠実な犬。主の望みに答える義務がある。  後ろ向きな気持ちが顔に出ないよう気を配りながら私は言った。 「自殺などした覚えはないのに、警察が自らの死を自殺と断定したことが気に入らないらしい」 「へぇ」  我が主はいよいよおもしろそうに口角を上げた。 「それは脱走したくもなるね」  この一言で、今日の放課後は宅間の巻き込まれた事件の調査にかかりきりになることが確定した。  我が主はどうやら、宅間の死が殺人であったことを世に知らしめるつもりらしい。
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