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「行けるかい、イチ?」  我が主の顔から朗らかな笑みが消え、冷え冷えとした(めい)が下る。一も二もなく、私は静かにまぶたを下ろし、全神経を脱走者へと集中させる。  快晴の空の下、わずかな空間の(ひず)みをとらえる。この世のものではなくなったその魂が刻んだ軌跡は、人間の目には見えずとも、我が(まなこ)にははっきりと映し出される。  私は目を開け、我が主に告げる。 「二十代、サラリーマンと思われるスーツ姿の青年。西へ向かっているようだ」 「名古屋方面か。なるべく近くで捕まるといいけど」 「案ずるな、我が主よ。私に捕まえられぬ者など……」  勝ち誇ったように言いかけた私の口に、我が主は立てた右の人差し指をぐいと押し当ててきた。驚きに目を大きくした私に彼は言う。 「学校でその口調はダメ」  そうであった。これもまた立派な主からの命である。返す言葉もない。  私は私自身に言い聞かせる。今の私は我が主と同じ高校生。いたいけな十七歳の男子に化けているのだ。仕事の時間になるとつい忘れてしまいがちだが、私が冥界の番人たる我が主に仕える犬であることを知る者はいない。もちろん、我が主が冥界の番人であることも。 「行こう、イチ」  彼は口ではそう言いながら、胃のあたりが痛むような仕草で腹をさすった。 「今回はおなかが痛いことにするよ」  そうはっきり言葉にしてしまうといろいろと台無しなのだが、こればかりは仕方がない。教科担任を騙し、二人揃って授業を抜け出そうというのだから多少の打ち合わせは必要だ。
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