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「先生」
私は顔を伏せて背を丸める我が主の肩を抱き、体育教師に彼を保健室へ連れていく旨を報告すると、わざとらしくゆっくりと歩きながら二人で保健室へと向かう。
保健室はグラウンドからもっとも近い本館という名を与えられた校舎の一階にある。南側のガラス扉をたたくと室内で事務仕事をしていた養護の女性教諭がとんできたが、我々を見るなりまたかといった顔をして扉を開けてくれた。
「いらっしゃい」
「たびたび申し訳ない」
私が言うと、私に肩を抱かれていた我が主が顔を上げ、「お邪魔しまぁす」と少しも腹の痛そうな様子が感じられない声で言い、砂ぼこりをかぶった黒いスニーカーを脱いで敷居を跨いだ。
幸いにして、保健室の利用者はいなかった。仮病とはいえ、保健室を利用する以上養護教諭の調書作成に協力しなければならず、それを終えてからベッドを一台借りた。カーテンを引き、区切られた狭い空間で私は我が主と二人きりになる。
「じゃ、今から十分間ね」
私は保健室の壁にかかる時計を見やる。午前十一時二十分。タイムリミットは、十一時半。
「承知した」
私はこたえ、頭から足の指先まで全神経を集中させた。
「五分で仕留めよう」
私のからだが、消えゆく煙のようにふわりと揺らぐ。一瞬のゆがみが過ぎ去ると、私の外見は人の形から三つの頭を持つ黒い犬へと変わる。
保健室の古ぼけた蛍光灯の下にあっても、私の黒々とした毛並みは今日もつややかで美しい。手前味噌だが、その辺の犬っころとは比較にならない美貌である。ラブラドールレトリバーよりもさらに一回り大きな私のからだは余計な肉の削ぎ落とされたたくましさであり、三つに分離する頭ではそれぞれ赤、青、緑をした凜々しい瞳が外界の光を映して輝く。
人は私をケルベロスと呼ぶ。現世と冥界を隔てる扉の前に置かれ、我が主の許可なく冥界を脱しようとする死者の魂を正しい世界へと引き戻す役目を仰せつかる犬――番犬である。
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