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「いい子だね、イチ」
この姿に戻ってなお、我が主は私のことを『イチ』と呼び、三つの頭のうちの真ん中、いわば本体と言えるそれを嬉しそうに撫でた。こそばゆいが、悪い気はしない。
「それじゃあ、僕も」
我が主は体操服の汚れを少しだけ払ってから、束ねている長い髪をほどき、巻きつけていた黒いヘアゴムを手のひらに載せた。それはたちまち黒い珠の連なる直径三十センチほどの数珠へと姿を変え、我が主はそれを自らの右手に巻くとベッドの上に寝転がった。
仰向けに横たわる我が主は、数珠を巻いた右手を胸にトンと押し当てる。胸の中からなにかをつかんで引っ張り上げるかのように右手を天に向かってゆっくりと伸ばすと、数珠が巻かれていただけだったはずの我が主の右手が白い靄に包まれた。
我が主の目が閉じられる。からだからはみるみるうちに血の気が引き、やがて持ち上げられた右手が力なくベッドの上に投げ出された。一方、数珠にまとわりつくように這っていた白い靄は次第に人の形へと変化していく。
「お待たせ」
それはついに、我が主の姿形をそっくり映した半透明の像を結んだ。白衣に緋袴、髪は後ろで一つに束ねる、俗に言う巫女装束をまとっている。
我が主は双木家の者に代々伝承される『幽体離脱の技』を習得しており、その御霊を身体から分離させることで冥界の者と通ずる力を得る。ただし、御霊が身体を離れていられる時間は十分間と決められている。
そして本来、この力を伝承できるのは双木家に生まれた女に限られ、双木家が代々管理している冥界の扉の番もまた女にしか務まらないはずなのだが、かくかくしかじか、今はそのお役目を男児である我が主が務めている。そのあたりの事情は話せば長くなるので、またいずれ。今は冥界を抜け出した馬鹿者の確保を優先したい。
「さぁ、出かけよう」
我が主は袴の裾を軽く持ち上げながら私の背中に跨がり、三つに枝分かれした私の首のうち真ん中の一つにしがみついた。
「振り落とさないでね」
「承知」
我が主の命に従い、私は彼を背に乗せて走り出す。
目的はただ一点のみ。
冥界からの脱走者を捕獲することだ。
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