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霊園には門はなく、綺麗に区画された墓地がずらりと並んでいた。
後部座席のドアを開けると、初夏に近い季節にも関わらず、白く冷たい空気がなだれ込んでくる。
「ここで待っていましょうか?」
昼ならまだしも、こんな深夜にまたタクシーを捕まえるのは難しいはずだ。内心では早くこの場所を去りたかったが、女性一人を残して帰るのも心苦しいものがあった。
「一緒に来てください」
女性はそう言うと、私の質問には答えずに車から降りてしまう。お金も貰っていない以上は追いかけるしかなく、私は慌てて運転席を下りた。
女性は私がついてきたのを確認すると、先導するように前を歩く。外周の道路にある街灯からの微光を頼りに、何とか先へと足を進める。
さすがの女性も、一人で墓地に足を踏み入れるのは怖いはずだ。だから私を誘ったのだろう。男である私でも、深夜に一人で墓参りに来る度胸はなく、仕方がないことだと諦める。
昼に来れば良いのではという問いかけは、サービス業である身としては言えなかったこともあるが。
女性が足を止めたことで、私も隣に立つ。長方形の御影石で作られた墓を目の前にして、私は「えっ」と声を上げた。
そこには私の姓が書かれていたのだ。
「ここを見てください」
女性はそう言って、墓石の横を手で指し示した。
見ない方がいい。本能的にそう感じて、私はその場で立ちつくしていた。
「……残念ですけど」
哀れみの籠もった声で言われ、私は仕方なく墓石の横に立つ。暗くて見ずらいはずなのに、何故かはっきりと自分の名が刻まれているのが分かった。
「……そうか」
私はすでに死んでいた。気付かないままでいたかったが、そうもいかないようだ。
ふいにタクシー業界に伝わるもう一つの噂が脳裏を過る。霧の夜に一台のタクシーが現れる。その運転手は既に死んでいて――
「どうか、ゆっくり休んでください」
ずっと手に持っていた花束を渡される。
それが白菊の花束であることを、私はこの時初めて知ったのだった。
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