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思い出す過去
6月中旬。蒸し暑いオフィス街を、私は黙々と歩いていた。もう6時近くだというのに、日は沈んでいない。眩しい夕日に目を細めながら、ゆっくりと本社へ向かっていた。
すると、また聞き馴染みのある声に呼び止められた。
低めで色っぽくて、でも氷柱のように冷たく重い声が鼓膜に響く。
「落としましたよ、ハンカチ」
振り向けば、シックなタイトドレスに身を包んだ琴葉が立っていた。
「あ、ありがとう」
「璃々花? また会ったね。今、仕事?」
「うん、そうなの。商談帰りでさ」
「凄いね。私、そういう系の仕事じゃないから分からないわ。でも、大変なんでしょう? 聞いたわ、お客様に」
〝そういう系の仕事じゃない〟その言葉に引っかかり、私は聞いてみた。
「琴葉は、どんな仕事してるの?」
そう一言を聞くと、琴葉は仕方がなさそうに微笑み答えた。
「接客よ、接客。大きい声では言えないけど、キャバ嬢よ」
その単語を聞いて私は優越感に浸った。
なんだ、しょせんその程度か。人望があって、学校でも有名だった不良が今じゃ、キャバ嬢。
可笑しくはないか、だって負け組だもんね――。
「ヤバいよね、ほんと。人生、負け組って感じでさ」
心臓が跳ねた。え? 今なんて? 私が思ったことを、言った?
「同窓会とか、どうしようかしら。近いもんね、ねぇ? 璃々花?」
怖い。あの頃の気持ちが蘇ってくる。自分が負けそうで、敗北感を味わってしまいそうで、だからだからっ―――!
「璃々花?」
「あっ、琴葉。ごめん、本社に戻らないと」
一刻も早く、この場から去りたい。この瞳から、声から、存在から、逃げたい――‼
「そうね。ごめんなさい、元は私のせい。商談帰りだったものね。本当にごめんなさい。璃々花」
「いいえ、謝らないで琴葉。じゃあ、またね」
「ええ、またきっと逢いましょう」
真夏なのに、背筋にぞっと何かを感じる。
「えっ、ええ。もちろんよ‼ じゃあ」
一目散に本社へ走った。そうだ、思い出した。あんで琴葉の好きな人を奪ったか、そしてあの時の優越感、そして―――恐怖感も。
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