第1話 俺と、お嬢様

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第1話 俺と、お嬢様

 それは新帝国暦一一三五年の、初夏のことだった。  俺の平穏が破られたのは、一人の女のキンキン声によってだった。 「ここが、ヨハンのおうちですのね!」  声の主だ。高そうな服を着た、華奢な女だった。  紫色の外出用ドレスと、共布の大きな帽子で、花を模した飾りがあしらわれている。帽子がデカすぎるせいで顔は半分しか見えないが、その下からは長い銀髪が覗いている。  そう、奴だ。 「ヴィルヘルミーナ。……なんであんたがここにいるんだ?」  俺は茫然と呟く。  休日の午前の、遅い時間のことだった。  窓にかかったカーテンが空気の動きでわずかに揺れているのを、俺は間抜け面で見ていた。その外に見えるのは、停止した四頭立ての馬車。そこから馬丁たちが、これまたばかでかい荷物を積み下ろしている様子が窺える。その荷物はすでに、一部が室内に運び込まれてすらいた。 「なんであんたがここにいるんだ?」  俺は再び、その疑問を繰り返し口にする。 「わたくし、家出してきましたの。しばらくこちらに置いてくださいませんこと?」  いかにもご令嬢という風情のこの女が、なんで俺の家に転がり込んでくるのか。  それにはいくつかの理由がある。  まず俺だが、ランデフェルト公国の公爵直属工房の技師で、名前はヨハン・ヴェーバー、あるいはヨハン・エードラー・フォン・ヴェーバー。平民出身で今は準貴族扱いの、二十三歳の技師だ。  背はかなり高く、赤毛で、顔には雀斑がある、そんな貧乏くさい外見を想像してもらえばそれでいい。普通でないところと言えば、三年前に事故で足を失って、義足になっている。  俺自身はあまりどうということはないが、俺の姉には今まで、いろんなことがあった。  アリーシャ・ヴェーバー。ランデフェルト公リヒャルトの宮殿にメイドとして勤務を始めたが、不意に奇妙な知識を発揮し始め、リヒャルト公に見出されて、紆余曲折の末今は、なんと公妃の座に上り詰めている。  そしてこの、目の前の女。ヴィルヘルミーナ・フォン・リンスブルック。十六歳で、なんと近隣の小国の君主である、リンスブルック侯爵の末娘だという。  ここで俺たちの国と、近隣の国家のあり方についてちょっと説明が必要かもしれない。俺たちの国は一つの強力な王権の元に結集しているわけではなく、公や侯が治める半独立国家の連合体だ。だから、ランデフェルト公国もリンスブルック侯国も小国で、君主と言っても大国とは趣きが全く違う。  ヴィルヘルミーナの話に戻ろう。彼女は十歳の頃まで、リヒャルト公爵と婚約していた。だが、自由奔放に生きたい彼女と、歳若くも厳格なリヒャルト公は相性が悪く、また、ヴィルヘルミーナ自身は政略結婚の妃となることを望んでいなかった。  結果婚約は解消され、その数年後にアリーシャが表舞台に出てくることになる。アリーシャとヴィルヘルミーナの名誉のために言っておくが、二人の間には痴話喧嘩があったわけじゃない。ヴィルヘルミーナのはとこであるリヒャルト公も含め、今では三人の関係は良好だ。  で、なぜここに俺が絡んでくるか。三年ほど前の俺が足を失った事件で、ヴィルヘルミーナは現場にいた。その見舞いに来たこの女は、なぜか俺がいたくお気に召したようだ。その後も何かと構いつけたり、手紙や品物を送りつけてくる。  と言っても別に恋愛めいた意味合いはないし、そういうことを書いてある手紙をもらったこともない。言いたいことを思う存分、勝手に書きつくろった手紙で、格式ばってもおらず、全く貴族のご令嬢らしくはない。彼女の環境に気のおけない言葉のやりとりをできる者がおらず、平民としても礼儀正しいとは言えない俺に対してだったら気が楽ということだろう。なんとなく、珍獣扱いすらされているような気もしている。 「いや何考えてんだ! 知らねえよあんたの家出なんて、さっさと家に帰れよ!」  だからこの時も、俺はご令嬢相手には全く相応しくない言葉で、家出してきたというヴィルヘルミーナを諫めたのだった。だが彼女はその尖った鼻で、俺の抗弁を軽くあしらうのだ。 「そんなわけにはいきませんわ。わたくしの野望を認めさせるまで、こちらから折れるわけには参りませんの」 「いやだから! ここは駄目だろう! なんで俺の家なんだよ!」 「なんでって、なんでですの?」  俺にしてみれば当然の話だったのだが、ヴィルヘルミーナはきょとんとしている。 「一人暮らしの男の家に、いいとこのお嬢さんを泊めるわけにはいかんだろう! 常識で考えろ!」 「ええ!」  彼女はそこで急に驚くのだ。 「ございませんの?!」 「何がだよ!」 「もちろん、お客様の長期滞在のための、ゲストルームですわ!」 「あるわけねえだろんなもん!」  俺は絶叫した。  この話をする上では、俺の現在の住居についてもいくつか説明をしないとならない。  今や公爵の縁者、また準貴族となり、また工房で地位が向上しつつもある俺に当てがわれたのは、首都の表通りに面した、そこそこ新しい三階建ての建物だ。国家の財産だが、使い道が決まっていなかったらしく、どの部屋も空だった。そこを住居として使わせてもらえることになったのだ。ついでに言えば、何かと不便なことが多い俺の身の回りを世話を焼く婆さんを、通いで手配してもらえている。  こういう建物は、大抵は一階になんかの仕事場や商店が入り、二階は住居、それから三階は下宿人に貸すみたいな使い方をされる。俺は義足だったので、一階を住居に改造するという話もあったが、俺は断った。何せ、これから一生この足と付き合っていかなければならないのだ。階段の上り下りぐらいこなせなければ、それこそ今後の人生が危うい。  ということで、一人で住むには広すぎる二階の住居を、俺は広々使わせてもらっていた。一階と三階は空いたままにして。  俺は本当は、こんなでかい家じゃなくて、俺の身の丈に合った下宿にでも滑り込めればそれでいい、その分貰ってる傷病年金を上げてくれと言ったのだ。それはにべもなく断られたのだが、仮にも公妃の身内がみすぼらしい生活をしていたら外聞が悪いということらしい。  まあ、諸々のことは俺にはどうでもよかった。俺は俺の道を行けばいいし、行くしかないし、それ以外のことにかかずり合う余裕は持ち合わせていない。それで、身の丈より少しだけいい思いをさせてもらえれば、俺に特に不満はなかった、その日までは。
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