第2話 姉と、公爵と、その側近

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「手配はしておきますよ」  応接室を出た俺に、声を掛ける者があった。  名前はエックハルト・エードラー・フォン・ウルリッヒという、公爵の側近の男だった。黒髪を束髪にしていて、貴族然とした端正な風貌の男だ。ひょろりと無駄に背だけ高い俺と違って、その立ち居振る舞い、身のこなしには隙がなく、日頃の鍛錬を窺わせる。またその美貌は音に聞こえていて、数年前までは艶聞が絶えなかったらしい。とはいえもう三十代も半ばになっていて、大理石の彫刻のような完璧な美貌だった数年前よりは、少しやつれが見て取れないこともない。だがその鋭い金色の目はより鋭くなり、大人の男の空気感が強くなっているような気がする。  エックハルト様の言う手配とは、俺がさっき主張した下宿の差額分の話とのことだった。 「……すみません。お嬢様を歓待するためにも、何かと物入りになりそうでもあるし」 「それはまた別に」  こういう話をつけるなら、奴らよりはエックハルト様だった。アリーシャはあの通りだし、リヒャルト殿下はもう少し俺に優しいとは言え、原理原則を動かさない部分はある。エックハルト様であれば、情実を理解して臨機応変に便宜を図ってくれるからだ。 「……ええと、それから。お世話になりました。本当に。例の件では」 「何の話ですか?」 「姉の身分の話で。何か、相当な便宜を図っていただいたみたいで」  何年か前までのアリーシャの武勇伝において、エックハルト様も相当な立ち回りをしていたらしい。またなぜ平民出身の女が公妃になれたかというと、エックハルト様によって印象操作が行われたからとのことだ。なんでも、『救世の乙女』とか何とか、そういうホラ話まで吹聴されたらしい。俺相手には淡々と便宜を図ってくれるエックハルト様だが、そのゴリ押しの手腕は相当なものとのことだった。  だが、エックハルト様は答えるのだ。 「私は嘘を吐いた覚えはないですね。多分あなたの考えるのとは、それから他の誰が考えることとも違っているでしょうが。私は、あの場で奇跡を見たんだ。あの方がどう仰ろうが、それは私には関係ないことです」 「……はあ」  微妙に不可解なエックハルト様の言葉に、俺は空気の抜けた返事をする。アリーシャ曰く、エックハルト様は、『一見慇懃だが、辛辣で毒舌』との話だった。恩人に対してそういう口を聞く姉こそどうかと思うが、どうもあの女は、エックハルト様とのいがみ合いが楽しいらしい。だが、アリーシャの言うこの男の人物像は、実態とは少し違っているような気が俺にはしていたのだった。
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