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第3話 開店と、ガラス窓と、石ころ
「あーもう、どうしたらいいんですの!」
キンキンしたその叫び声が、俺の耳に突き刺さる。
実家のリンスブルック侯爵家から家出してきたヴィルヘルミーナが、ランデフェルトの庇護下に転がり込んで(本人は抗議するだろうが、事実はその通りだ)、俺を階上に追いやりつつドレス店の準備を始めてから、二ヶ月が経過していた。
ここまでの話でお察しかと思うが、ヴィルヘルミーナの野望とは、侯爵令嬢として政略結婚はせず、服飾デザイナーとして華々しく活躍するため、まずは自分のドレスのお店を持つことだった。
商売を手掛けているだけで、下賤と見做されかねない時代だったのだ。侯爵令嬢ともあろう者が世の中に出てドレス店を開こうというのは、当時の基準からすればとんでもない話だった。だがそのように諭されようと、ヴィルヘルミーナの決意は変わらなかった。
そんな理由でヴィルヘルミーナは侯爵と激しく対立し、拗れた末に家出ということになったのだ。
とにかく開店を前にして、ヴィルヘルミーナのドレス店はある問題を抱えていた。
『客層の不一致』だった。
ヴィルヘルミーナのドレスははっきり言って高い。その辺の庶民には手が出ない代物だ。その辺に広告を打ったとして、それを目にするような客層が訪れたところで、どうにもならないのだ。
一方でそんなドレスがご入用なお嬢様方が、御自ら店舗に足を運ばれるような時代じゃなかった。そういった娘たちは、自宅で出入りの業者の訪れを待ち、万事面倒を見てもらう。そんな客層に訴求するための手段を、ヴィルヘルミーナはまだ持ってはいなかった。
「まあ、そんな顔すんな」
「うう……」
たまには俺は、奴を慰めてやることにする。
成り行きに半分呆れつつ手を出さないで見守っていた俺だったが、ここにきてのヴィルヘルミーナの苦境には同情半分、いい気味半分と言ったところだった。
なぜって? まず、いい気味の方からだ。俺が面倒ごとを押し付けられたとか、そんなことは割とどうでもいい。自立するなんて息巻いてはいるものの、彼女はいろんな方面からの援助を受けている。ランデフェルト家もそうだし、その裏ではリンスブルック家も無関心ではない。自分だけの力でできることなんてたかが知れているのだ。それを思い知るにはいい機会だった。
だからと言って、この威勢の良い娘が鼻っ柱を折られたままでいるとしたら、それもあまり面白くはない。なんとかして良い方向に進んで欲しいことに嘘偽りはなかった。俺だってランデフェルト家の援助を受けているし、本当に自分の力だけで何かを成し遂げた人間なんて世の中にはほとんどいない。物事が上手い事運ぶためには、他人の助力が必要であるということは、もう自然の法則のようなものだった。
だから、俺が切り出したのも、その助力に関する話だった。
「公宮に呼ばれてるんだろ? お針子の話で。早く支度しろ」
アリーシャが懇意にしている業者から、使っているお針子を貸してもらえることになっていて、その相談が必要だったのだ。ドレスの店、それは職人がいなければ成り立たない。お嬢様とは信じられない裁縫の腕を誇るヴィルヘルミーナだって、全てのドレスを自分で、最初から最後まで作るなんてわけにはいかないのだ。
「そうねえ」
俺たちの話を聞いて、アリーシャは思案顔だった。
例によって、公宮の応接室に俺たちは通された。アリーシャは妊婦らしい、ゆったりした室内用のドレスにレースのショールを羽織っていて、ヴィルヘルミーナは豪勢ではないが訪問にふさわしい外出着という出で立ちだ。俺のことはまあどうでもいいが、大人の男が身分の高い家を訪問するのに無難な服装だ。この公宮では召使と勘違いされそうだが、まあそんなこともどうでもいい。
「まあ、どう転んだとしたって、傷が少なければいいんじゃないか? 双方無理ない範囲で、そこそこ上手いことできればそれでいい」
「ちょっと! 勝手に決めないでくださいませ!」
俺の言葉に、ヴィルヘルミーナは食ってかかる。
「うお! なんだよ一体!」
「ヨハン、あなたが間違いよ。事業にはリスクが伴うの。問題をどう設定して、解決フローをどう想定するか、今の問題はそれね」
アリーシャは最近、なんだか意味がよくわからない、どこぞで聞いてきたような言葉遣いをするのだが、ヴィルヘルミーナはご満悦だった。
「さすがアリーシャ様ですわ!」
微妙に蟠りがあるのかないのかわからなかったこの二人の関係は、今となっては妙に親しげで、二人揃って俺をやり込めようとしてくることすらある。
「ヴィルヘルミーナ様。この場合、お店は実際の商品を取引する場所というよりも、品物を展示し、広く世間に知らしめるためのショーウィンドウとして機能させるべきかと思います。そこに行けば、豪勢で美しいドレスを多くの人が眺めることができる。そうやって人の注目が集まれば、この称賛を自分のものにしたい、なんてご令嬢も現れてくるのではないでしょうか。そうしたら、その家の召使を店舗にやって、ドレスの依頼をする、なんて未来も考えられます。いかがでしょうか?」
そんなアリーシャの提案に、ヴィルヘルミーナは頬を紅潮させて感心している。だが、俺には疑問があった。
「……まず一点。この店でそんなドレスが見られるってことを、世間の連中がまず知らないとならんだろ。その時点で躓いているのに、どうにかなると思ってんのか」
「いい質問ね。従来のお店は普段は扉が閉ざされていて、中に入らないと何があるのかわからない。せいぜい扉の上の看板で表示するぐらいよね。だけどこのお店では、中に入らなくてもドレスが見られるように、壁の一面を大きなガラス窓にするの。もう、前を通っただけでその華やかな様子が伝わるように。どうかしら?」
当時の俺たちの常識からすれば奇想天外な提案で、アリーシャは得意げだ。
「どうかしら、じゃねえ。そんなガラス窓を、どうやって用意するんだ」
「あなたたちの家の正面玄関は、大きな扉になっているわよね? 普段使っていない方の扉は。あれの内側からガラス窓をはめ込んで、扉は普段は開け放っておくの。それで行けるでしょう?」
「あのな。そんなでかくて平らなガラス板、どうやって生産すんだ……」
と、ここまで行って気がついた。アリーシャの不穏な笑みに。
「頑張ってね、ヨハン」
「頑張ってくださいませ、ヨハン!」
「畜生、結局俺かよ!!」
そんなこんなで、結局俺はここでも絶叫させられることになったのだ。
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