虚像

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虚像

 私には憧れの先輩が居る。同じ女子陸上部に所属している、堀野心音(ほりのここね)という女先輩だ。思えば、部活見学の時からそうだったと思う。  特に入りたい部活もなかった私は、当時友達に誘われて、女子陸上部の見学に行った。トラックの前で顧問の退屈な説明を聞いていた時、その先輩が、私の目の前を走り抜けて行った。    流れる汗が煌びやかに光って、走りに集中する涼し気な顔が、今でも目の奥に焼き付いている。  その姿に目を奪われて、私は陸上部に入部した。部活中はずっとその先輩を追い掛けて、とにかく良い成績を上げれるよう努力した。  どうしたら先輩のように早く走れるだろう。どうしたらもっと体力が続くだろう。どうしたらもっと、堀野先輩に追い付けるのだろう。  そして、とうとうその努力が身を結んだ。夏の真っ盛り、私はレギュラーに選ばれた。堀野先輩がアンカー、私はその次に早いので、二走を走るランナーに抜擢された。  正直なところを言えば、本当は三走者が良かった。憧れの先輩にバトンをパスできるから。先輩が、こちらを見てくれるから。  私はレギュラーを勝ち取ったことが嬉しくもあり、少し残念でもあった。だがそうしょげることはない、だってレギュラーに選ばれたのなら、他の部員よりも沢山堀野先輩と一緒に居れるから。  その読み通り、堀野先輩との交流は今までよりも圧倒的に増えた。学校内で会うとよく話してくれるようになったし、強化合宿でも贔屓(ひいき)してくれるようになった。  その大会で見事、私の学校は優勝した。  選手である先輩たちは勿論、応援席にいた部員たちもたちまち立ち上がって、狂喜した。私も堀野先輩も汗だくで抱き付き合い、高い声を上げて涙を溢れさせた。  そんな大勝を収めたのは土曜日。私は興奮で眠れずに日曜日を迎え、月曜日には部活があるので夜の8時に就寝した。  そして月曜日。朝練にやって来た私は、どうにも部室の空気が重苦しいことに気付く。  確かに真夏で滅入ることもあるだろう。クーラーは無いし扇風機も壊れた部室は、地獄そのもの。しかしそれでも妙だった。  まだ全員が揃った訳では無いが、少なくとも部室にいる人間は全員、表情を暗くしていた。中には土曜日の大会のように涙を流す先輩さえいたし、何より堀野先輩が居ない。 「おはようございます……あの、どうか、しましたか…?」  私がおずおずと聞くと、先輩たちは暗い顔を上げて、視線を逸らす。皆、理由を言いたがらない様子だった。だが言わねばなるまいと腹を括った一人の先輩が、その事実を私に告げた 「堀野、自殺したんだって」  私は目を見開いた。ポッカリと、胸に穴が空いたようだった。 「……え?」  青天の霹靂。その言葉はこういう時に使うのだろうが、私の驚きはそれ以上だった。  だって、一昨日まであんなにも笑っていた。優勝に涙を流していた。目を真っ赤に腫らして賞状も貰っていた。いつになく笑った顔が輝いていた。  蝉がうんとうるさく鳴いている日だった。頬を嫌な汗が伝う。  堀野先輩が死んだ?自殺?どうして?  呆然とした頭がそんな問いで支配され、私は血相を変えて先輩に尋ねた。 「なっ、なんでっ…!」  先輩はただ一言、「……後で写真送るから」とだけ言って、その話題を強引に沈めた。  部にはグループラインがある。そこから個人ラインを選択して、先輩は撮影された遺書の写真を送ってきてくれた。  そこにはこう記されていた。 『ごめんなさい、私はもう生きられません。  私にとって、部活は生き甲斐でした。自分の価値を証明してくれるタイムに、慢心しきっていたんです。だから下からの追い上げが、とても怖くなった。いずれ自分が一番ではなくなる、そう感じる度に億劫になりました。馬鹿な真似をして申し訳ありません。アンカーには、宮本(みやもと)を推薦します。』  宮本、それは私の苗字だ。  私は帰ってから自分の部屋でその文章を見ていた。スマホの画面を握る手が、段々と力んで震えていく。  あぁ、堀野先輩の遺書に、私の名前が乗っている。先輩は死ぬ直前まで、私のことを考えてくれていたんだ。部活で先輩は、私の事だけを見ていたんだ。  私は心の底から嬉しくて堪らなかった。私が先輩のことを追い続けてきたように、先輩もまた、私のことを見続けてきてくれたんだと。そして文字通り、死ぬまで私のことを想ってくれていた。  あぁ、早く先輩に会いたい。明日の部活にでも。あぁでも、先輩はもう死んでるから会えない。それは嫌だ。  でも大丈夫。追い掛けることには慣れている。先輩のおかげ。この一年間、私はずっと先輩のことを追い掛けていた。部活内では勿論、帰りだって先輩のことを追い掛けて、家だって知ってる。  朝は体力作りの為に自転車で裏道を走ることも、ペットボトルは歯を立てて飲むことも、弟が二人いることも、毎朝その弟たちと自分のお弁当を作っていることも。  もう先輩のことは知り尽くした。知らないことなんて無い。もう部活に用は無い。もう現世に用は無い。  先輩の居ない場所には意味が無い。私の居場所はいつだって先輩の隣。何度でも、何処へだって私は追い掛けていく。 「先輩、今行きますから……またあの白線の上で、待っていてくれますよね…?」  今度会ったら何を言おうか。また拒否を離される前に、今度は逃げ道を塞いでおこうか。お泊まりなんかもしてみたいな。それで、同じ布団で寝てみたいな。  私はロープに顔を潜らせて、部屋の椅子から飛び降りた。 『8月23日。都内中○○中○○在住の宮本歩良(あゆら)さんが、自宅で自殺している所を発見されました。』 『宮本歩良さんは都内の○○高校の女子陸上部に所属しており、同じ部員である三年生、堀野心音(ここね)さんは二日前の大会直後に自殺しているとのことで、警察は、堀野心音さんの"後追い"だと考え捜査を進めています』
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