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部屋の中に閉じこもったまま、壁に寄り掛かりただ呆然と時計の針を見つめて、時をやり過ごす。
カーテンの隙間から差し込んでいた昼の光が、いつしか月明かりへと変化しても、一華は魂の抜け殻のように、そこから動くことができなかった。
不意にインターホンの音が鳴り、直後に母親が一華の部屋へと駆け込んでくる。
「一華! 律くんから! 律くんから花籠が届いたの!」
母の手に、着日指定の送り状が貼られた箱がある。片側の側面の半分が透明のプラスチックになっており、中にある花籠が見えるようになっていた。
『ハーデンベルギアだよ。覚えた?』
『忘れた』
震える手を伸ばし、一華はその箱を受け取った。部屋で一人、その箱をそっと開封する。小さく連なるピンクに白、そして薄紫の可愛い花が、ふわりと甘い香りを届けてくれた。
ハーデンベルギアの写真のポストカードが一枚添えられていて、『DEAR ICHIKA happy birthday FROM RITSU』と印字されている。
誕生日に届くように手配してくれたのだと思うと、今度は温かい涙が込み上げてくる。
ポストカードの裏面には、ハーデンベルギアの種子が貼り付けられており、鉢植えにして育てる方法なとが記載されている。その下には大きな字で、花言葉が紹介されていた。
ハーデンベルギアの花言葉は、思いやり、運命的な出会い。そしてもう一つ、この花が持つ何より強いその言ノ葉は……。
「いつまで、泣いてんだよ」
不意に響いた声に、一華は驚き振り返った。
一華の視線の先に、また会いたいと願った律がいる。
(律!)
「おう」
(どうして? 夢?)
「会いにきた」
そう言って笑った律を見つめ、一華はすがるように小さな心の声を絞り出した。
(律。もうどこにも、行かないで!)
一華の心の声に、律が首を横に振る。
「多分、少しの間しか居れそうにない」
(いやだよ! お願い行かないで!)
一華が伸ばした手が、触れることなく律の体をすり抜ける。
「俺はもう、お前に触れる事ができないみたいだ」
同じ様に一華へと伸ばした律の手も、一華に触れることなく体をすり抜けた。
「それでも最期に、俺の声を、お前にあげたかったから」
(声を……?)
それと、まだ言えてないままの俺の気持ち。そう付け足して、律が真っ直ぐに一華を見る。
「好きだ、一華。初めて会った日からずっと、ずっとお前が好きだった。何があっても、例え俺が、お前の前から消えてしまっても……。それでも好きだよ。一華が好きだ」
囁いた後、律がゆっくりと自分の顔を一華に近づけた。触れる事は出来なくても、愛しい人に唇を重ねるように……。月明かりに照らされた二つの影が、一つに重なる。
強く抱き締められているような温かさが、じんわりと一華の心を包んでいく。
一華が伏せていた瞳を開けると、目の前の律が優しく笑った。その笑顔に想いが溢れて、一華はゆっくりと口を開く。
「好きだよ」
律からもらった声で。
「好きだよ、律」
心の中、全部の想いを伝えたくて。
「大好きだよ、りつ!」
何度も何度も、一華はその言葉を繰り返す。
「律が好き! 大好き、好きなの! 好き、律が大好き」
一華の言葉に、満面の笑顔を浮かべ、そして静かに、薄れていく律の残像。
「律、プレゼントありがとう。想いをくれてありがとう。声をくれてありがとう。守ってくれてありがとう」
──お願い、行かないで。
困らせるだけの言葉を必死に飲み込んで、律に向かって、一華は笑った。
掠れていく律の残像が、ゆっくりと手を伸ばす。もう触れる事が出来ないその手で、それでも優しく一華の頬を包みこむ。
律が何か呟く。
声はなくても、口の動きだけで伝わった。
『お前の笑顔に、また会えた』
満足げな律の微笑みが、夜の帳の中に溶けて消えた。
窓から吹きつけた夜風が、机に置かれたポストカードを翻す。
ハーデンベルギアの花言葉。
思いやり。運命的な出会い。
そして……。
『奇跡の再会』
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