前編

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「また一華(いちか)の負けだな。負けた方はデコピンの刑だって覚えてるか」  放課後の教室。  目の前でパチパチと指の素振りをはじめる幼馴染の(りつ)に、一華は焦って言葉を返した。 「え? ちょっと待って、全力とか無理! 絶対、無理だから!」 「行くぞ。五、四、三……」  何気なく始まった、しりとりに負けただけなのに。焦る一華に構わず、律による全力デコピンのカウントダウンが始まる。 「ニ、一……」  一華はギュッと瞳を閉じて、その衝撃を覚悟した。 「ゼロ」  しかし、覚悟していた痛みはいつまで経っても襲ってこない。その代わりのように、額にふにっと、温かくて柔らかい何かが触れた。  訳が分からず瞳を開けると、照れたような声だけを残し、歩いていく律の後ろ姿が見える。 「無防備に……目、(つぶ)ってるそっちが悪い」 「え?」  ずかずかと大股で歩き、そのまま教室を出て行く律の背中に一華は焦って声をかけた。 「ちょ、ちよっと待って! 律!」  学校を出てから駅へと向かう道を歩く間も、律は相変わらず早足で一華を振り返ろうともしない。 「ちょっと! 律! 待って」  小柄な一華と違い、バレー部の律は長身で歩幅もかなり違う。これ以上距離を離されないようにと、一華は小走りで律を追った。  走りながら、そっと額に手をあてる。先ほど触れた温かく柔らかい感触が、そこにまだ残っている。幼馴染という近すぎる距離のせいで、一華は律へ、好きという思いを伝えられずにいた。  先日の夜、誕生日に話があると律に言われた。  それは……お互い言えずにいる言葉を、律が言ってくれるんだよね。そう心で問いかけてから、一華はようやく追いついた律の背中に手を伸ばした。  その時……。 「一華! 来るなっ!」  先に曲がり角へと差し掛かった律が、振り返り怒鳴り声を上げた。今まで聞いた事のない程の切羽詰まった声に驚き、一華の体がビクリッと震える。  次の瞬間には、律の手で強く突き飛ばされ、一華の体はそこから少し離れた通学路へと倒れ込んでいた。 「……うっ……」  何が起きたのか分からず、混乱の中、痛みに耐えて顔を上げる。そんな一華の目に、自分が元いた場所。律が立つその場所へ、猛スピードで突っ込んでいくトラックが映った。  まるでスローモーションのように、信じたくない光景が、一華の瞳に焼き付いていく。  激しいクラッシュ音。  周りから上がる無数の悲鳴。  そして、少しずつ道路に広がっていく赤い鮮血。  ただそれが、ただ怖くて。  一華は声を失ったのだった。
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