21人が本棚に入れています
本棚に追加
後編
ただカチカチと繰り返す。
秒針の音だけがそこに響いている。
電気の消えた暗い部屋の中で一人、一華はあふれ出す後悔を止めることが出来ずにいた。
もっと早く、好きと言えばよかった。
もっと早く、大好きだと言えばよかった。
ずっと心がヒリヒリして、上手に呼吸できない。
その日は朝早くに警察が来て、玄関から飲酒運転だったことを説明する警官の声が一華の部屋まで聞こえていた。トラックの運転手は、その頑丈な車体に守られ、軽傷だという。隣の玄関先から、律の母親の怒りと悲しみの混じる叫び声が響いた。
「どうして! どう、して……」
どうして律だけ、死ななければならなかったのか。
──ごめんなさい。私をかばってくれた。ごめんなさい。おばさん、ごめんなさい。
叫びたいのに声はでない。おばさんの目の前に走り出て、土下座する勇気もない。心の中で、祈るように謝罪することしか出来なかった。
──ごめんね、律。ごめんなさい。
*
「隣に引っ越してきた、佐山と申します。ほら、一華もご挨拶して」
「いちかです、よんさい」
母親に連れられて、一華が「お隣さん」と初めて顔を合わせたのは四歳の頃だった。
「こんにちは。いちかちゃん、四つなの! 佐山さん、うちの息子も四歳なんですよ」
「そうなんですか! 仲良くしてもらえると嬉しいです」
「こちらこそ! うちは悪ガキなんですけど、今、呼んできますね」
いったん家の奥に行き「りつー! ちょっとこっち来て!」と、叫んでいる。その声の後、バタバタと足音を響かせこちらへとやって来た男の子と一華は目が合った。
「こ、こんにちは」
「…………ブス!」
勇気を振り絞った挨拶に、そんな言葉を返され、一華の目に涙が浮かぶ。
「こら、律! あんたそんな赤い顔して、何言ってんの! いちかちゃんごめんねー。この子、本当に天邪鬼で……って言っても分からないよね。恥ずかしくって、反対の事を言っちゃったの。だから許してね」
そう言って慰めてくれた。
「かわいいとか、おもってねーし!」
「ほら、やっぱり可愛いって思ってた」
「おもってない!」
おばさんがため息を吐く。
「佐山さん、お時間大丈夫だったら、上がって行って下さい」
「でも、お邪魔じゃありませんか?」
「佐山さんから頂いたクッキーでお茶しましょうよ。いちかちゃん、クッキー好き? 冷蔵庫にアイスクリームもあるよ?」
「いちか、チョコのアイスがすき」
その時、律が一歩前に出て少しモジモジしながら一華へと小さな手を差し出した。
「チ、チョコはおれのだけど……、はんぶんこ、してやってもいいぞ」
驚き、けれど一華も、伸ばされた手にそっと自分の手のひらを重ねた。そんな一華の手を握り、律が家の中へと駆け出す。
「こっち!」
「うん!」
初めて出会った日から、律はずっと一華の手を握ってくれている。
『来るなっ! 一華!』
突き放したのは、あの瞬間が、最初で最後だ。
──連れて行ってよ、律。
止めどなく溢れる涙が一華の頬をつたい落ちる。
このぐしゃぐしゃの泣き顔を、もう一度、ブスだと笑い飛ばしてほしかった。
最初のコメントを投稿しよう!