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テールの夜咄
「怖かったの」
そして丁度、あの夜から一ヶ月経過した辺りだろうか。満月の夜、双子ちゃんとユジローさんが寝た直後、僕はテールさんの編み物のアシスタントをしていた。すると突如、テールさんがぼそりと呟いたのだ。
「怖かった、って何がですか?」
「……旅人が」
旅人が。僕という存在が怖かった、とかではなく、旅人という一括りに恐怖を覚えていたのか? 疑問に答えるように、そして独り言のように、テールさんは微かに震えた声で喋りだした。
「私には三つ上の姉がいたの。とても美人な姉で、周りに自慢出来るくらい非の打ち所が無い人だった。でね、彼女も旅人だったの。世界中の市町村を歩き回っていたわ。でも二月ほど前のある日、姉が遠くの村に旅に出ると、無惨な死体姿で帰ってきた。姉は怪物に襲われたの」
「怪物……? 人ならぬ者が本当に存在するのでしょうか」
それがね、とテールさんは話を続ける。
「姉には体の肉が噛みちぎられたような痕跡があった。その跡はどんな野生動物にも当てはまらなかった。第一、害獣が来たら村人の誰かが気付く」
「じゃあ人が……」
「それも違う。人には人を噛みちぎるための頑丈な歯は、無い」
「あ、そっか」
「でも半分正解かも。その怪物は、人にそっくりな格好をしていたから。やがて、人に紛れた怪物は勇敢な兵士によって退治された。それでも何人もの犠牲者が発生したけど」
僕は静かに、テールさんの話に耳を傾ける。無論、この怪物は僕ではない。自分が自分を騙す必要など一切無いし。
「今までも旅人は何人かやって来た。けれどその度に私は怯えた。姉のことを思い出すのが嫌だったから。姉の変わり果てた死体を記憶から消し去りたかったから。大体の旅人は横暴な態度だったし、そもそも信頼しては駄目なんだ。そんな結論に辿り着くのに、時間は要しなかった」
「でも貴方は特別だった」、とテールさんはようやく僕の方を向く。こんなに子供のように無邪気に笑うテールさんは、初めて見た。
「貴方は私どころか、村人全員に親切だった。その天使のような微笑みに、何人が勇気付けられたと思う? ……ジャンは、ミコナやミコラと同じ、私の子供のような存在。家族よ」
テールさんは斜め下に目線をやり、再び編み物に取り組みだす。僕も編み棒を動かし始めると、右隣から「ありがとうね」という声が聞こえた気がしたので、僕も「ありがとう」と返事をしながら、キッチンへ向かい、テールさんに教えてもらったホットココアを作り出す。
暫くして、ココアが出来上がる。ここにマシュマロをたぽん、たぽんと投下。
二人でそれを飲み、やがて布団に潜り込んだ。僕の身体には、まだココアの甘い香りと味が染み渡っている最中だった。
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