パーカッションのマスキングテープ

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ボキッ。 鈍い音が私の足元で響いた。 私は足元にあるものがなにか見ようとする…。 「はああああああああああっ!?お前何やってんだよっ!!!!」 音楽室中に響いた怒鳴り声。 私はこれが自分に向けられたものだなんて思っても見なかった。 でも、それに気づいたのは足元の物体を見たから。 「嘘…っ」 恐る恐る足をどける。 そこにあったのはヒビが入ったスティックだった。 パーカッションで絶対になくてはいけないもの。 このスティックがないとスネアドラムだって叩けやしない。 でも問題はスティックにヒビが入ったことだけじゃなかった。 「先輩………」 見なくても分かった。内山先輩は怒っている。 だってこのスティックは内山先輩の私物だから。 私は震える手でスティックを拾い上げると、内山先輩と目を合わせた。 怒りで顔が真っ赤だ。 「原……お前練習終わったら俺のところへ来い」 先輩はそう低い声で言い放つと、そのまま学校のスティックでドラムを叩き始めた。 私は手のひらのスティックを見る。 どうにかできないものかととりあえずマスキングテープを貼っておいた。 ぐるっとヒビを見えなくするように一周。 私はそれをスティックケースに滑り込ませた。 先輩の目線は楽譜で、気づいていない。 私は逃げるようにスネアを叩きまくった。 練習が終わっても私は先輩のところへは行かなかった。 怒られたくなかったのだ。 カバンを持つとそのまま階段を駆け下りる。 ドラムを叩き終わった先輩は私の方をチラッと見たが声はかけなかった。 ーこのとき先輩のところへ行かなかったことを私は後悔することになるー 「立派になったよなぁ。原は、昔だったらわんわん泣いてたよ」 そんな言葉を耳で流しながら私は華を添える。 不運な事故だった。 私があのときスティックを踏んでいなければ起きない事故だったのだ。 先輩はヒビを直しに楽器屋さんに寄っていた。 もちろん自腹でだ。本当は私が払うべきだったのに。 と、そこに車が突っ込んだ。 先輩はガラスの破片があちこちに刺さり、最初は意識があったものの搬送先で息を引き取った。 私が踏んでいなかったら楽器屋さんになんて寄らずに済んだのに。 私が先輩のところへ行っていたら車が突っ込んだ瞬間に先輩は楽器屋さんにいなかった。 だって先輩の説教は長いから。 先輩の無理に笑ったような顔の遺影を見た。 その顔は「お前のせいじゃない」って言ってるよう。 違う。私のせいだ。 「原さん…ですか?」 後ろから急に声をかけられ、私は振り向いた。 「そうですけど…」 声に涙が混じったのはお香の匂いがきつかったからだ。そうだ。そうに決まっている。 「よかった、内山くんがこれを原っていう後輩に…渡してくれ…。って言ってましたよ」 白衣を着た人。この人は内山先輩の治療をしてくれたお医者さんだろうか。 私はその人から黒いケースを受け取った。 「ありがとうございます…」 お医者さんは悲しそうに笑うと「助けられなくてごめんなさい」と頭を下げた。私は黒いケースを見る。パーカッションなら誰もが使ったことのあるスティックケースだ。全部が同じように見えるはずのスティックケース。 でもこれは、紛れもなく……。 スティックケースの中にはマスキングテープが少し剥がれたスティックが入っていた。 私はそのマスキングテープのように何かが剥がれたのが分かった。 それは我慢してきたもの。 「う゛わあああああああああああああああああっ!」 涙が溢れた。嗚咽が漏れた。 先輩の遺影は今度は「これからも頑張れよ」と言っていた。 完
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