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時計の針は動き出す。
あ、あの人。
朝、登校中。
信号待ちをしている交差点で、横断歩道の向こう側に立っている人。
会いたいと思っていた人を見つけてしまった。
どうしよう。声をかけようか。
考えていたら、信号が青に変わって一斉に皆が歩き出した。
向こうに立っていた彼も、こちらに向かって歩いてくる。
どうしよう。動けない。
動けずにいると、横断歩道を渡ってきた彼が立ち止まった。
そしてなんと私に声をかけてきた。
「あの、僕のこと覚えていますか?」
ドキッとする。
覚えてる、というか会いたいと思っていた人。
そんな彼に声をかけられてドキッとしないわけがない。
彼をまじまじと見つめてうんうんと頷くことしかできずにいた。
でも学校に遅刻してしまいそうで、お辞儀だけすると私は駆け出してしまった。
印象最悪だっただろうな、と思いながら。
ちょっとだけ涙がでた。
*
彼はよく行くコンビニの店員さんだ。名札には『かわい』と書いてあるのを知っている。
高校の近くのコンビニ。
あまり買い食いはよくないとわかっているのだけれど、彼がレジに入っているとどうしても買いにいってしまう。マシュマロとか、グミとか。あと、好きなフレーバーティーとか。
「このお茶好きなんですね」
以前レジで目を細めて彼に聞かれたときは、大声で「はい!」と答えて店中の人──お客さんまでがクスクスと笑っていたっけ。だって嬉しくて声がでてしまったんだもん。
私がこのお茶が好きだって知っているってことは、よく買っていることを知っているわけで。
つまりは少しくらいの興味は持ってもらっているってことで。
でもいつも買っているのもどれだけ飲んでいるのかって思われるのも恥ずかしいから。
「これ、お姉ちゃんも好きなんでお姉ちゃんのなんです」
「ああ、お姉さんいらっしゃるんですか。優しいですね」
彼が優しいと言ってくれて嬉しかった。
本当はお姉ちゃんにあげてるわけじゃないんだけれど。
*
学校帰りにコンビニに寄ると、彼がレジに入っているのが見えた。
多分、大学生なのだろうな。3つ上のお姉ちゃんくらいの年頃に見えるし、いるときといないときがまばら。毎日いるわけじゃない。
彼の声と見た目が大好き。
さっぱり短く揃えた髪と、赤みがかったフレームの眼鏡。後ろ姿も好き。
彼の指先も好きで、いつも現金払いにしてる。
だっておつりをもらうのが嬉しい。
店の扉をあけて店内に入る。
「いらっしゃいませ」
彼の声がきこえた。目が合う。ドキッとする。
朝、声をかけてもらったのに逃げるように去ってしまったから怒っていないだろうか。
ドキドキする胸をおさえそっと会釈して、ドリンクコーナーへ移動した。たくさんあるドリンクから選んでしまうのはやっぱり。
フレーバーティーに手をのばす。
その時後ろから声がした。
「お客様、どうぞ」
「え」
振り返ってみれば彼がいて、その手にはレジ袋。中にちらりといつものフレーバーティーが見える。しかも二本。
「?」
なぜか受け取るよう差し出され、戸惑う。
すっと押し戻すけれどレジ袋は出されたまま。
彼はにこにこしている。どうも受け取るまで引く気はないようだった。
時が止まったような気持ちになった。
朝の態度に怒っている樣子はないことに、ほっとした。
そしてこのレジ袋を受け取ったら何か始まるような期待。少し、いやかなり期待してしまう。
すると彼が口を開いた。時計の針が動き出す。
「お詫びです。朝突然話しかけて迷惑だったかと思って」
「あ、いえそんなこと」
「それ、もう買ってあるのでどうぞ」
「え」
迷惑だなんて。そんなはずがない。嬉しかった。
レジ袋をぐいと渡され、案外強い力で押してくるので少し驚く。それだけ私に渡したいという気持ちなのかと、また嬉しく思えてくる。
まっすぐに彼の目を見れなくて、彼の口元ばかり見ていた。レジ袋を右手で受け取ると、彼が口元をほころばせるのがわかった。
お礼を。お礼だけは言わなくっちゃ。
意を決して彼の目を見つめる。
「あの、ありがとう、ございます」
「こちらこそ。朝から会えて嬉しかった」
レンズの奥の瞳が細められて、彼はレジへ戻っていった。
どうしよう。
嬉しいよう。
*
にまにました気持ちが顔にでているのだろうか。
夕食後のリビングでソファに寝転がっている私へお姉ちゃんが顔を寄せてきた。
「由利、なにかあったの?」
「んんん? わかる? わかっちゃう? 」
「顔がこわい」
「ひどーい」
お姉ちゃんの言葉に怒ってはみせるけれど、顔が多分にまにましたままだ。
もらったフレーバーティーのことを話すと、お姉ちゃんが顔を輝かせた。
「ちょっとそれってなんかいいかんじじゃない?」
「やっぱりそう思う?」
お姉ちゃんはうんうんと首をたてに振った。
そう思う?
やっぱり?
明日もコンビニ行ってみよう。
また会いたい。
*
「どうしてお姉ちゃんもくるかなあ」
「妹の恋の行方を見守りたいのよ」
大学が午後からだと言って、朝、わざわざ私の登校とともにコンビニにきた。
くっついてくるとかって本当に過保護。
ブツブツ言ったけれどまったく聞いてくれない。
むしろ私よりもわくわくしている雰囲気が伝わってくる。
まあいいか。なんだか応援してくれてるみたいだし。
「どの人?」
そんなこと言っても男の人ひとりだよ、たぶん今の時間。
お姉ちゃんはかまわずキョロキョロと店内を見回している。
私はレジを指さして、あの人、と教えようとしたのだけれど──。
「あれ、河合君」
「え」
突然お姉ちゃんが声を上げた。
そのまますすすっとレジに近づいていく。
『河合君』と呼ばれたのは、まさに私が会いに来た彼だ。
昨日、私にフレーバーティーをくれた彼だった。
え
お姉ちゃん、知ってるの?
「あれ、──香澄さん? 新井香澄さんだよね?」
え
『河合君』も?
本当に知り合い同士、なの?
頭に疑問符が飛び交っている私を尻目に二人は楽しげに話し出した。
「ひさしぶり! このあたりにまた戻ってきてるの? 何年ぶり? ああ、小学5年ぶりだから──」
「香澄さん、僕のこと覚えていてくれたんだ! うれしいなあ」
『河合君』の聞いたことのないくらい明るく楽しそうな声に私はもう何が何だかわからなくなった。
え
どういうこと?
昔からの知り合いってこと?
*
その昔。
お姉ちゃんが小学5年生のとき。
転校してきたのが『河合君』だったのだそうだ。
小学生のころのたった1年。
その時に隣の席になっていたそうで。
「また会えるなんてうそみたい!」
「そうだね、ほんとにうそみたいだよ。会いたかったんだ。香澄さんに」
私は絶望的な気持ちになってその会話を聞いていた。
父親の仕事で突然転校してきて心細かったときによく話しかけてくれたのがお姉ちゃんだったということ。優しくてうれしかったこと。
その後すぐにまた転校が決まって会えなくなってしまったけれども、あの小学5年生のときのお姉ちゃんのことは忘れなかったこと。
また会いたかったこと。
お姉ちゃんの顔も『河合君』の顔も高揚していて。頬が赤く染まっている。
『河合君』は、お姉ちゃんが忘れられず、よく似た顔の私のことが気になっていたんだそうだ。
なにそれ。意味がわからない。
ああ。どうしてお姉ちゃんを連れてきてしまったんだろう。
動き出した時計の針は私と彼のものじゃなくて。
お姉ちゃんと『河合君』のものだった。
*
私なんてまったく眼中になくなった二人がいい感じで連絡先を交換している。
このままつきあうとか。──きっとそうなるんだろう。
というか、もしももしも『河合君』と私が付き合ったとしてもいずれこうなっていたような気がする。だとしたら傷が浅いうちでよかった、の、かも?
前向きに考えるとそうなる。
というか、そう考えないとやってられない。
あああ。
次だ。次に行こう!!
恋なんてたくさんしてやる!!
でも。
もうフレーバーティーは飲まない。
そう誓ったのはいうまでもない。
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