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「さて」と時間遡行者の男は言う、「そろそろ、俺は帰らなくちゃいけない」
「妹さんが待っていますもんね」
「最後に言い残したことはないか?」
「ないです。あなたはあるんですか?」
「あるよ」
「なんです?」
「あんまり褒められたことじゃないんだろうけど、俺はお前のことが好きだったよ」
「あんまり褒められたことじゃないですね」
「だと思って、俺も言わないでおいたんだが」
「でも、言ってくれて良かったです。というか、それが聞きたかったんです」
「なら、勇気を出して言って良かった」
「まったく、もう」と少女は呆れたように言う。
「もう一度訊くけど、もう言い残すことはないか?」
少女は何度が小さく頷いて、大きく息を吸った後、「ちょっと耳を貸してください」と男に言った。
そして男が少女の目線に顔を合わせたタイミングでカサカサした男の唇に、自分の唇を重ね合わせた。
「これでもうわたしから言うことはなにもないです」
少女はにっこりと笑ってから、そこから走り去っていく。
最後の最後にしてやられたな、と男は思う。
不意を突かれて、抱きしめ返す暇さえなかった。
男は少女のその姿が見えなくなるまで眺めてから、ポケットに入っているナイフを握りしめた。
彼女が罪を犯す前に、男にはやらなければいけない事があったからだ。
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