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「もしもし、木島君?」
「もしもし、ああ、吉岡か。久しぶりだな」
「うん、長らくご無沙汰だね。どう、元気?」
「元気だよ。そっちはどうだ?」
「うん、ちょっと話を聞いて欲しくて電話したんだけど、いいかな?」
「なんだよ、あらたまって。何かあったのか?」
「うん、実はここのところ毎晩、変な夢を見るんだ」
「変な夢?」
「うん。夢の中で、僕は暗い夜道をずっと一人で歩いている。どこまでもどこまでも真っ暗で、他には何も見えない」
「ふーん、それで?」
「何故か懐中電灯を一つだけ手に持っていて、それを頼りに足元を照らしながら歩き続けている。自分の足元とその周りくらいがぼんやり照らされているばかりで、あとは真っ暗闇で、本当に他には何も見えないんだ。心細くてたまらない。このまま、どこまで歩かなければならないんだろう。そもそも僕は、どこに行こうとしてるんだろう。何もかもわからない」
「なるほど、それは不安になりそうな夢だな」
「ふと、立ち止まってみた。でも、相変わらず真っ暗闇の周囲には何の変化も無く、しーんと静まり返っているだけだ。こんな静かな闇の中で立ち止まっていると、もっと不安になってくるんだ。結局、諦めてまた歩き続ける」
「ふーん、なんだか人生みたいだな。ははは」
「笑い事じゃないよ。で、そうやって、ひたすら歩いているうちに、ふっと目が覚めるんだ」
「なんだ、それだけ?」
「そう、それだけなんだよ。でも、起きた時はすごく嫌な気分なんだ。真っ暗闇の中をたった一人で、立ち止まることも出来ず、どこへ行くかもわからないまま、ただひたすら歩き続けなければならない。それが何も解決されないまま、そのまま目が覚めるわけで、気分は最悪なんだよ」
「うん……まあ、気持ちはわかるけどさ。でも、話を聞く限り、物凄く恐ろしい悪夢って感じでもないよな。とんでもない天変地異に巻き込まれるとか、ゾンビにしつこく追い回されるとか、そんな夢じゃないわけだろう?」
「それは確かにそうだけど、もう三日三晩、全く同じ夢を見ているんだ。同じ夢を三日も見続けているなんて、なんか変じゃない?ふつう、夢って毎晩違うものだよね?」
「まあ、それはそうだな」
「このまま、同じ夢を見続けていたら、何が起きるんだろう。真っ暗闇の中にどんなものと出くわすんだろう。そう考えるとすごく不安になってくるんだ。でも、このまま何も変わらず、ずっと同じ夢を見続けるのかと思うと、それも何だか不気味な気がしてなる。真っ暗闇の中を、どこに行くのかもわからずに永遠に歩き続けていくのかと思うと……」
「はは、まさか永遠に同じ夢を見続けるなんてことはあり得ないさ。そんな話聞いたこと無いぜ。いつかは終わるよ」
「そうかなあ……まあ、話してると何となく気が楽になってきた。うん、そうだよね。有難う。ごめんね、こんな夜中に」
「まあ、あまり気にすんなよ。じゃ、おやすみ」
「もしもし、木島君?」
「ああ、吉岡か。ひょっとして、また夢の話か?」
「うん、そうなんだ。ごめんね。今、ちょっと話せるかな?」
「おお、いいよ。で、どうなんだ、あれから?」
「うん、それがね、あれから暫く同じ夢を見た後、最近夢に変化が出てきたんだ」
「変化?」
「うん、僕はひたすら夜道を歩いているんだけど、ずっと先の方に、ぽつんと小さな灯りが見えてきたんだ」
「灯り?」
「そう。薄黄色の小さな灯りがたったひとつ、ぽつんと暗闇に浮かんでるんだ」
「何かの街路灯みたいなものか、あるいは民家みたいなものかね?」
「最初は僕もそう思ったんだが、どうも違うようなんだ。昨日くらいから、それが、ふらふら揺れながら少しずつ大きくなっているような気がしてきた。つまり、ゆっくり近づいてくるように見えてきたんだよ」
「ふーん、てことは、つまり……」
「そう。もしかしたら向こうも僕と同じような人間で、懐中電灯一つ持って、こっちに向かって歩いているんじゃないか、そんな気がしてきたんだ」
「なるほど」
「だんだん近づいてくるんだけど、相手が誰だかわからないから、薄気味悪くて、すごく不安な気持ちになる。でも同時に、暗い夜道に一人でいるのはそれはそれで心細いから、誰かに会いたいような気もする。もう自分でも、わけのわからない気持ちのままに歩き続けていると、お互いの距離は一歩一歩近づいてくる。それにつれて、こちらの不安どんどん高まっていきながら、やがて目が覚めるんだ」
「なるほど。それは嫌な感じの夢だね」
「そうなんだよ。毎朝、最悪の寝覚めなんだ。深く眠ることが出来ないから」
「寝る前に、酒でも飲んで酔いつぶれて寝ちまったらどうだ?」
「駄目だよ。僕がお酒飲めないの、知ってるよね?」
「ああ、そうだったな。お前、一滴も飲めなかったよな。まあ、とにかく夢は夢なんだからさ、目覚が覚めちまえば、なんてことないんだから、気を強く持てよ」
「うん、有難う。誰かに聞いてもらえると少し楽になるよ。有難うね。おやすみ」
「もしもし、吉岡?」
「ああ、木島君、よかった。さっき留守電入れさせてもらったんだ。ごめんね、何度も」
「それでどうよ、その後?」
「うん、それなんだけどね。もう、距離が一層近くなって、相手の様子もなんとなく見えてきた。やっぱり、あの光はこっちに向かって歩いてくる人間が手に持った懐中電灯の光だったんだ。昨日からは相手の足音まで聞こえてくるようになった。ごく普通のウォーキングシューズみたいな、特に変哲の無い足音で、早くもなく遅くもない、マイペースでゆったりと歩いているみたいな感じだ。ねえ、僕はこのまま歩き続けていいんだろうか」
「なあ、何度も言うけど、所詮夢の話じゃないか。ダメだって言ったところで、どうせ夢の中では歩き続けていくんじゃないの?もう、行きつくところまで行くしかねえんじゃねえのかな?」
「……まあ、それもそうなんだろうけど……」
「まあ、とにかくあんまり気にすんなよな。じゃ、おやすみ」
「もしもし!木島君!?もしもし!」
「なんだよ、吉岡。こんな夜中にどうしたんだ?」
「毎日立て続けにごめんね、でも、とうとう、とんでもないものを見てしまったんだ」
「とんでもないもの?」
「さっき、昨日の夢の続きを見て、恐ろしくて飛び起きたところなんだ。ああ、もう、汗びっしょりで、まだ心臓がバクバクいってるよ」
「まあ、落ち着けよ。深呼吸でもしてさ。で、どうなったんだよ?」
「うん、今話すよ。昨日の段階で、誰か一人の人間が向こうから近づいてくるみたいだったと言ったよね。暗闇の中、だんだん向こうの足音も大きくなってくる。ふらふらゆれる灯りもどんどん近づいてくる。真っ暗闇の中だけど、相手の姿がぼんやりと、薄明りの中に認識できるところまで近づいてきた。やはり、相手も懐中電灯を片手に持った人間だったんだ。とうとう二メートルくらいの距離まで近づいたところで、僕らは殆ど同時に立ち止まった」
「いよいよご対面ってわけだな」
「相手は暗闇の中、僕の前に突っ立っている。懐中電灯は下に向けているから、顔はよくわからない。暗闇の中にひとりの人間の立ち姿がぼんやり見えている。服装は暗くてよくわからなかったが、背格好は僕と同じくらいだってのは、なんとなくわかった」
「……それで?」
「お互いにそうやって、どのくらい固まっていたんだろうか。いずれにしても、このままじゃ、すまされない気がした。そいつの姿をしっかり見届けなければ、このまま前にも後にも進めない。そうこうしているうちに、そいつはいきなりゲラゲラ笑いだしたんだ。下品な大きな笑い声で、僕のことを馬鹿にするみたいに。そして、いきなり、自分の懐中電灯を僕の顔に向けた。光がまともに目に入って、一瞬目がくらんでしまったが、びっくりした拍子に、こっちも反射的に怒りがわいてきた。そして、僕もそいつの顔に光をあててやったんだ」
「なかなかやるじゃん、気の弱いお前にしちゃ」
「だが、そこにとんでも無いものを見てしまったんだ!」
「で、結局何を見たんだよ?」
「そいつの顔が、僕にそっくりなんだよ!」
「……なんだって?……」
「そいつは僕とおんなじ顔なんだよ。そいつは僕そっくりの顔で、ことさら僕を嘲笑するようにゲラゲラ笑っていたんだ!もう、何が何だかわけがわからず、パニックになっているうちに目が覚めたんだ」
「なるほどねえ……まあ、とりあえず、目が覚めたなら良かったじゃないか」
「ねえ、もう、このままだと明日どうなっちゃうんだろう。もう夜も寝られないよ」
「落ち着けよ、ただの夢の話だろうが。目が覚めちまえば何も変わらない、毎日が始まるだけだよ」
「でも、明日、何か起きたら、どうしよう。突然あいつが襲い掛かってきたりしたら……僕にはどうすることも出来ない。もう、怖くて怖くて眠ることも出来ない。でも、人間、ずっと起きているなんて不可能だし、いつかは眠り込んでしまう。今日か明日か、いずれにしても、時間の問題だ。そうなったら、あの夢の続きをみてしまう。ねえ、僕はどうしたらいいんだ?木島君、助けてくれよ!」
「俺だってわからんよ!とにかくもう何度も口酸っぱくして言ってるけどさあ、所詮夢の話じゃねえか。だから大丈夫だよ」
「……木島君……」
「あのさあ、悪いけど俺、明日早いんだよ。もう寝るからな!おやすみ!」
「もしもし、吉岡?」
「もしもし、ああ、なんだ君か」
「……いや、その、この間はごめんな。お前がすごく不安そうにしているのに、話をぶった切っちまって、ちょっと悪かったなと思ってさ。あれからお前からも連絡無いし、だんだん気になってきちゃって、それで電話したんだ」
「なんだ、そんなことか。いや、結局何も無かったんだ。こっちは全然元気だよ。大丈夫さ」
「……そうなのか。それなら良かった。で、あれからも変な夢は続いてるの?」
「いや、今はもう見なくなった。あれからどうなったかというと、この間の電話の次の夜、案の定夢の続きを見たんだ。
その時、二人は手を伸ばせば届くくらいの距離で向かい合っていた。全く同じ顔の人間が二人、向かい合っているわけだ。唯一違うのは、表情だけだ。こっちは、もう緊張で引き攣ってしまって、ひたすらそいつのことをにらみ続けていた。目をそらした瞬間、何か怖いことが起きそうで、目をそらせないまま、ひたすらそいつの顔を見据えていた。一方、そいつはと言えば、相変わらずゲラゲラ笑いながら、嘲笑するようにこっちを見ていやがるんだ。
そうして暫く睨み合っていると、突然、そいつが笑いながら、まっすぐに突っ込んできたんだ。”あっ!”と思ったがもう遅い。思わず目をつぶって、悲鳴をあげた。
暫くして、恐る恐る目を開けてみた。目の前には誰もいない。暗闇が広がっているばかりだ。ふと思いついて首だけでゆっくりと後ろを振り返ってみたんだ。何が見えたと思う……」
「……つまり?」
「そう。そいつと目があったんだ。そいつも自分の顔だけ後ろに向けながら、振り返っていた。二人で同じ格好をしながら目線を合わせたわけだ。そして、その後すぐにそいつは、前を向き、背筋を伸ばすと淡々と歩き出した。何事も無かったように、行っちまったんだよ。
こっちは暫く呆然としていたが、このまま突っ立っててもアホみたいだから、俺も前を向いて歩き始めた。あいつは俺の来た方へ、俺はあいつの来た方へとね。つまり、俺たちは、単に夜道ですれ違っただけだと、まあ、そういうことになるのかなあ。とにかく終わっちまえば、なんのこたあ無かったよ。それを最後に、あの夢も全く見なくなったしな。あれ以来、毎晩よく眠れてるぜ、ははは」
「そうか。それなら良かったけど……てか、お前、何となく話し方変わってないか?……」
「ぎゃははは、何言ってんの!俺は昔からずっとこうだよ。お前こそ大丈夫かよ?そうだ、木島、今度飲みに行こうぜ。どっかいい店教えてくれよ」
[了]
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