1 年下カレが眼鏡を外す時

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1 年下カレが眼鏡を外す時

 遠くにいるはずのカレと目が合った瞬間、カレは私に向かってニコリと柔らかく微笑む。その笑顔が大好きな私は胸をときめかせるけれど、この会場にいるマダムたちが「はぁ……」と熱っぽいため息を漏らしたのを私は聞き逃さなかった。そして、カレの隣でアシスタントを務める女流棋士もうっとりとカレを見ている。きゅんっ! の後に、むっ!としたヤキモチが押し寄せてくる。  デパートの催事場に設けられたのは、将棋棋戦の大盤解説会場。私の身長より大きな将棋盤の図を使って、今行われている対局の解説が行われている。その解説をしているのが、今や【マダムキラー】なんてヘンテコな異名がつく倉木壮真(くらきそうま)七段。すらっと背が高く、爽やかなルックスと柔らかな言葉遣い。トレードマークとも言われる銀縁の眼鏡がとても知性的に見えて、カレに夢中になる女性ファンはとても多いらしい。私もカレ目当てでここに来たのだけど、私はそのファンの女性たちとはだいぶ立場が異なる。 (……またこっち見てる)  チラチラとこちらを気にする倉木七段。私は下を指さし、口パクで「カフェで待ってるね」と彼にだけ伝わる様に告げて、その場を離れた。あんな風にこっちを見ていたら、私の存在がバレちゃうじゃない。将棋の事で頭がいっぱいなカレは、そういう細かいところで無頓着になってしまう傾向がある。  私はカフェに入り、カレの仕事が終わるまでここで待つことにした。バッグの中から取り出すのは、おじいちゃんから借りた『初心者のための詰将棋』という本。まだまだ序盤の三手詰なのに、駒の動かし方をようやっと覚えた私にはまだ難しく、一向に正解にたどり着かない。首をひねりながら問題に挑んでいると、背後に誰かの気配を感じた。 「答え、教えましょうか?」 「壮真くん!」  仕事を終えたカレが、いつの間にかカフェに来ていた。私はパタンと本を閉じる。 「だめ! これは私が解くって決めてるの!」  それに、カレに見せたら瞬きしている間に正解してしまう。まるでコンピューターが導き出すような正確な読み筋。その力に頼るのは、やっぱり反則だと思う。 「残念」  そう言ってカレは私の正面に座った。そしてホットコーヒーを頼む。私は本をバッグに仕舞い、氷がすっかり溶けてしまっているアイスティーに口を付けた。  今、私の目の前にいるカレ。その名を倉木壮真という。高校生の時にプロになった、将棋連盟に所属する棋士の一人。棋士のランクを競う順位戦では、B級1組というクラスに所属していて、約170名いるプロ棋士の中でも、そこそこ上位の方にいるとおじいちゃんが教えてくれた。ファンの間からも将来有望である言われるカレは……私の恋人でもある。 「すいません、急に仕事が入ってしまって」 「ううん、平気だよ」  本当であれば今日は一日フリーだった壮真くんとデートをする予定だったけれど、彼の先輩が高熱を出してしまい、急遽今日の解説役に抜擢された。そのおかげで、いつもは将棋会館にいるカレが仕事をしているところを初めて生で見ることができたのだけど、私の頭にちらつくのはカレの姿ではない。隣で聞き手役としてアシスタントを務めていた女性の、カレを見つめる眼差しばかりよぎる。うっとりとカレの言葉に頷き、目はトロンと蕩けていた。私にはそう見えた!  最近のカレは、ファッション好きの私がコーディネートしてきたおかげかとてもオシャレになってきた。元々の素材はとても良かったから、ちょちょいと手を加えただけだけど……そのせいで女性ファンが一気に増えた。まあ、急にオシャレさんになったから、ネット上では「彼女ができたのでは?」なんて噂されることも増えたけれど。私の表情がわずかに曇ったことにカレも気づいたらしい。不安そうな眼差しで私を見つめる。 「やっぱり断ればよかったかな? 今日の仕事……せっかくの亜美さんとのデートを半日も潰してしまったんだし」 「ううん! そういう事じゃなくて」  カレには、互いに仕事を尊重しようという話をしている。私はカレが将棋に打ち込んでいる姿は好きなんだけど……。 「女の人にもてはやされているのが、気に入らないというか……」  私が素直にそう口にするとカレは噴き出して笑った。
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