因果応報

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因果応報

その男は、天幕で行われている宴席を、浮かない顔で囲んでいました。部族をあげて行う狩猟祭で、そんな表情をしているのは一人だけです。 部族には、かつて各地を転々とする風習がありました。先代の長が、狩りの最中に命を落とし、当代が弱冠十歳で後を継いでからは、豊かな森と水源が近い肥沃な土地に根を張り、狩りではなく農耕に力を入れて暮らしています。 それでもかつての名残で、若者が狩りの腕を競う催しだけは、年に一度、こうして行われるのです。 男が溜め息を着くと、天幕の外が騒がしくなりました。若い衆が、夜明けの光と共に転がり込んできます。 「ヴィーラ部族長! あんたの息子が、どでけえのを獲ってきた」 そう聞いて、誰も彼もが外へ出ていきます。部族長と呼ばれた男も、仕方なしに後を追いかけました。 今や集落全体を、歓声と指笛が満たしています。森からやや離れた谷に位置するため、その熱気が、谷間を吹き渡る風に乗ってどこまでも届きそうなほどでした。 広場には、運び込まれたばかりの動物の死体がありました。その傍らに立つ青年が、部族長に手を振ります。 「父……いや、長よ! 見てくれ、こんなに大きい象、なかなかいないだろ? 薄汚れてるが、体も妙に白く見える。珍しいよな!」 そう聞いて、男――部族長は表情を強張らせました。震える足取りでそちらへ歩み寄ります。 お祭り騒ぎの民たちを掻き分け、ようやく死体のもとまでやってきました。濁った目を力なく開いたまま絶命している、巨大な老象です。 全身を無数に撃たれ、血と汚れに紛れてはいましたが、古い弾痕もたくさんありました。 頭の奥がにわかに疼き、部族長は目を細めました。子どもの頃に焼き付いた鮮烈な思い出が、今に重なろうとしていました。 目前で死んだ父、襲い来る象の群れ、倒れた仲間と焼ける森を背に、命からがら逃げた記憶です。 「何か持ってるようなんだが、握りしめて離さない」 鼻先がぎゅっと丸まっているのを指した青年が「切り落としてみるか」と、ナイフを手にします。 部族長は、すかさず首を横に振りました。そんなことをしなくても、象が握っているのが何か、わかってしまったからです。 それはずいぶんくたびれ、本来の長さの半分ほどになっていましたが、紛れもなく、母の形見でした。道を示し、火を起こす器具となり、時には矢にも槍にもできる、黒曜石の棒です。 そして同時に、父の命を奪った原因でもありました。これを持つ白き象がいるとすれば、それは。 「……息子よ、狩ってはならぬ命だった。私が泣く泣く断ち切った復讐の輪廻を、お前が再び巡らせた。報いを受けるぞ」 部族長が断言した瞬間、谷上にある物見櫓から危険を知らせる鐘が鳴り響きました。遅れて「象の大群が向かってくる!」と、見張りが叫びます。集落は騒然としました。 「くそ、こいつの仲間か! 敵討ちのつもりか!?」 「女と子ども、老人は今すぐ逃げろ! 残りは時間を稼ぎつつ撤退だ、真っ向からやり合うな!」 指示を受け、部族民は二手に分かれて動き始めました。 銃を手に、応戦しようと駆け出していく者たちに加わろうとした息子を、部族長が引き留めます。 「お前は、戦えぬ者たちを護れ。私が戻らなければ、次代の長となり、民を導け」 「父上!」 「いいか、間違っても象たちに借りを返そうとするな。もう一度、今度こそ、断ち切るのだ」 息子の背を無理やり押し出し、部族長は象の死体に視線を落としました。今になって、鼻先が緩んでいます。石棒を、易々と取り出せました。 数十年が経って、この再会を――石棒が戻った意味をどう解釈すべきか、部族長にはわかりませんでした。象に父母を殺され、それでもなお、「父にも落ち度があった」と言い聞かせ、無用な殺生を避けてきた人生の終幕に際し、抑え付けてきた憎しみのままに象を狩れというのでしょうか。 しばし思いを巡らせ、たったひとつ、わかったことがありました。 「お前の鼻には、こんな武器ではなく……あれほどうまいと喜んでいた、焼きりんごを握らせてやりたかったよ」 ざらついた老象の肌をひと撫でし、部族長は空を見上げました。 燃えるような、朝焼けでした。
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