子象と小猿と少年と

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子象と小猿と少年と

さらに、むかしむかし。その日も満月の晩でした。 牙が生え揃ったばかりの幼いオス象が、友の小猿を頭に乗せ、雨の森を走っていました。象の体は、石灰岩と同じほどに白く、輝いていました。名前を「キラン」と言いました。 同じ森に住む小猿の「ルタ」は、かつて同じ猿の仲間たちと共に、人間に長く捕まって見世物にされていた過去があります。動物だけでなく人の言葉にも詳しく、簡単な単語なら発音できるのでした。 小気味良い歩みを響かせ、キランは雨宿りをするために洞穴へやってきました。 入口に差し掛かった二匹は、首を傾げました。中は普段、真っ暗なはずですが、今夜に限って奥から光が漏れ出しているのです。 『焦げ臭いな。火だろう。気を付けろ、キラン』 『こげくさい? 火ってなに?』 キランが中へ足を踏み入れたその時、ルタがキキーッと悲鳴を上げました。奥から、人間の男の子が顔を出したのです! 『ニンゲンだ! 殺せ!』 けしかけられても、キランは一歩も動けません。初めて、こんなに近くで人間を見たからです。怖くて仕方ありませんでした。 ルタが地団駄を踏みます。子どもとは言え、体格差は歴然。向かっていく勇気はないのです。 震え上がったキランは、後ずさりました。すると男の子は、こう語りかけたのです。 「ごめんね。雨が上がるまでここにいるのを、許しておくれ」 男の子はそれきり、奥へ引っ込みました。 困った様子のキランを見かね、ルタが『謝ってる』と伝えます。 『けど、雨が止むまではここにいるって』 『そうなんだ……母さんをなんで殺したんだろ』 『何言ってるんだ、あいつ子どもだぞ。お前の母さんが殺された時なんか、もっとチビだ。銃なんか持てるわけねえ』 『「ニンゲン」って、名前じゃなくて、いっぱいいるんだ。母さんを撃ったのも、ルタをつかまえてたのも、同じやつだと思ってた』 キランの母は、出産後すぐ死にました。 群れの象たちが、キランの育ての親です。みんなとても優しいですが、母の話になると口を閉ざすばかり。『ニンゲンに銃で撃たれた』とだけ教えてくれたので、キランは誤解してしまっていました。 『さあキラン、別の洞穴に行くぞ。ニンゲンと一緒なんて』 『ちょっと待って。甘いにおいだ』 言いながら、キランは歩み出しました。お腹がぐう、となりました。 りんごを獲るために森に入って雨に降られ、食いっぱぐれていたのです。ルタに叱られても、漂ってくる「いいにおい」に、抗いようもありません。 においを辿ると、先ほどの男の子に行き着きました。たき火に当たって、濡れた体を乾かしているようです。 少し怖がっている男の子は眼中になく、キランの視線はたき火に注がれていました。厳密には、たき火に立てかけられている、小枝ほどの長さと太さをした、黒曜石の棒です。キランの牙と同じように尖った先端には、布でくるまれた丸い何かが、二つ刺さっていました。 男の子はキランの視線をなぞって、「あ」と声を出しました。石棒を火から離し、布を巻き取ります。 「焼きりんごを食べたいのかな、一つあげる」 息を吹きかけながら、男の子が笑います。赤い皮がよれ、ぶよぶよになったりんごを、石棒で一口大に切り分けてから、キランに差し出しました。 見かねたルタが『火で焼いた、りんごだとよ』と言うまで、キランには何の食べ物かがわかりませんでした。 少し怖いものの、「いいにおいと空腹」には勝てません。鼻先で何度か、ちょんちょん、と触った後、そっと掴んで口に持ってきます。味わう直前に膨れ上がった不安はしかし、未知の食感と味覚が吹き飛ばしてしまいました。 焼きりんごは吸い込まれるようにして、キランのお腹に消えていきました。今まで食べてきたどのりんごより、断然やわらかく、おいしかったのです。 『ルタ! りんごなのに、りんごじゃないみたい! ニンゲンってすごい!』 『よかったなあ。おれにも残しとけよなあ』 キランは鼻を伸ばして、男の子の顔を撫で回しました。 男の子はくすぐったそうに笑い――しかし、ふと真剣な眼差しになって、洞穴の外を指し示しました。 「さ、お行き。この森は危ない。早く逃げて」 意味がわからないキランは首を傾げましたが、ルタは何かを察してキキッと鳴き返しました。キランの頭から、男の子の頭に飛び移って、ひと跳ねします。 『ハ、ナセ!』 「話せ!? 『話せ』って言った!?」 突然、小猿が人語を放ったのですから、男の子は驚くしかありません。 信じられない様子でしたが、ルタが『ハヤ、ク!』と続けると、はっとしたように頷きました。 彼は「ヴィーラ」といい、今は近くの村に住んでいます。季節ごとに居住地を変える部族なので、短期間で各地を転々とするのです。 数年前、ある出来事が起きました。部族長の妻が、ある動物に殺されたのです。強く心優しかった部族長は、動物を容赦なく狩り回るようになりました。 季節が巡り、新しい居住地にやってくると、部族長は「掃討戦」と称し、村の若者を強制的に率いて大規模な狩りに出掛けるのでした。 ヴィーラは十歳。明朝の掃討戦が初めでですが、気乗りしません。そこで彼は夜のうちに動物を脅かし、人間を警戒させるため、一人で森へ入りました。 しかし突然強い雨に降られ、困っていたところに、キランとルタがやってきたのです。 「死んだ母さんはね、勇敢な狩人だった。だからこそ絶対に無駄な狩りをしなかったんだ。詳しい話は教えてもらってないけど、最後まで動物を守ろうとしてたってことだけは聞いてる。だから、ぼくもそうしたい」 ここまで聞いたルタは、溜め息を吐きました。 今は雨宿りも尻込みも、している場合ではなさそうです。 『話が本当なら、もうすぐニンゲンどもがおれたちを狩りに来る。とっとと帰って……』 『ねえルタ、ぼくにも「火」、できる?』 『何言ってるんだ、無理に決まってるだろ!』 ルタは呆れ返りましたが、これまでのヴィーラの話を、何も伝えていなかったと気付きました。となれば、キランが焼きりんごのおいしさに夢中になったままなのも、仕方がないことです。 苛立ちを抑えて、状況説明をしてやらなければ――ルタが思い立ったのをよそに、キランはこう言い放ちました。 『なら、この子と一緒にいる! このりんご、もっとほしい!』
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