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 子どもは満面の笑みで受け取り、私を見た。 「お姉ちゃんも、ありがとう!」  その言葉に、私の頭はまるで沸騰したみたいに熱くなった。ありがとうなんて誰かに言われたの、本当に久しぶりだったから。目頭が潤んでいるのに彼も気づいたらしい、優しい笑みを私に向ける。 「ほら、みんな待っていますから」 「はい!」  たかが炊き出しの手伝いだと、私自身、心のどこかで舐めていた。けれど、温かな食事を受け取り喜ぶ人々の笑顔を見ている内に、気持ちが少しずつ凪いでいくのを感じていた。この笑顔が生まれた一端に私がいるのだと思うと、今まで感じたことのない高揚感を覚えていた。炊き出しの時間はあっという間で、気づけば鍋は空になっていた。 「手伝っていただき、本当にありがとうございました」  割烹着を返すと、尼が深々と頭を下げた。私も負けじと深く礼をする。隣に立つ彼はそんな私を見ては、また柔らかな笑みを見せていた。 「もう遅いですから、どうぞお気をつけて」  外を見るとすっかり暗くなってしまっていた。 「私が送っていきます。家はどちらですか?」 「え? えっと……」  こちらまで来ることがあまりないから、屋敷までの道が分からなかった。彼はまた少し笑って「それなら、名前を教えてください」と言った。 「名前さえ分かれば、どこの屋敷なのか分かるかもしれないでしょう?」 「は、華村です。華村紗栄と申します」 「華村!?」  彼は今日一番大きな声をあげた。 「あの華村様の奥方様とは知らず、大変失礼を致しました」  焦った彼が勢い良く、腰を直角に曲げてお辞儀をした。今度は私が焦る番だ。 「大丈夫ですから! 私もあなたに助けていただきましたし、それに、こんないいところにも連れてきていただいて……あなたにはたくさんお礼を言わないと」 「いえ、華村家の奥様をこんなに夜遅くまで連れ歩いたなんて知られたら、懲戒物ですよ。ほら、帰りましょう」  先を歩く彼についていく、どうやら彼は私の屋敷を知っているみたいだった。 「主人の事を知っているのですか?」 「えぇ、まあ。軍の武器は華村様の会社で作っている物が多いですし、それ以外でもよくお世話になっていますから」 「そうなのですね」  旦那様の仕事の事も、私は何も知らないままだった。見上げると、彼は少し困ったような目を私に向けていた。さっきまでは怖かった鬼の赤い瞳。けれど今は、幼い子どものように見えてしまう。 「もし主人に何かを問われても、道に迷っていたところあなたに助けていただいたと言っておきます」 「大変助かります」  図らずとも嘘つき仲間になってしまった。私がくすりと笑うと、ようやっと彼は表情を和らげた。それを見た瞬間、私の胸がまるで鞠のように弾んだような気がした。今まで感じたことのない感覚に首を傾げる。そのうちに、いつの間にか屋敷にたどり着いていた。 「それでは、本日は大変失礼いたしました」 「いいえ、私も助かりました。あの……!」  一緒につくと決めた嘘以外のつながりが欲しいと思ってしまった。私は口を開く。 「あなた様のお名前を伺ってもよろしいですか?」  私が尋ねると、彼はまた優しく笑みを見せた。物語に出てくる【鬼】は皆恐ろしいのに、目の前にいるこの赤い瞳の彼は、どうしていつも優しく笑うのだろう。それが知りたいと思ってしまった。 「鬼頭(たすく)と申します。帝国軍妖鬼隊の軍曹です」  私は口の中でその名を繰り返しながら、彼の背中を見送った。これが、私と彼の出会い。一生交わることのないと思っていた私たちの、運命の出会いだった。 ***  帰りが遅くなったことが誰にもバレないように、私は忍び足で自室に向かう。幸いなことに誰にも遭遇しないまま、私は自室の襖を開けた。 「遅かったな」 「……っ旦那様!」  真っ暗な部屋の中に旦那様がいた。どうしてここに? その言葉が出そうになった瞬間、私は口を噤み、その代わり「遅くなり、申し訳ございません」とその場で膝をつき、頭を下げた。 「あの鬼の軍人は知り合いだったのか?」  まさか、あの私たちの姿を見ていたなんて思いもしなかった。私は彼と約束した通り、道に迷ったところを助けていただいたと旦那様に話した。彼が何者なのか、私は知らないふりをする。その嘘がバレないかヒヤヒヤとしたけれど、旦那様はそれ以上何か聞いてくることはなかった。胸を撫でおろすと、旦那様は冷たい声で「入れ」と言い放った。顔をあげると、部屋の真ん中には布団が二組敷いてあった。私はもう、その意味が分からない生娘ではない。立ち上がり旦那様に近づくと、彼は強引に腕を引き、布団に押し倒した。首筋にぬるりとした熱が触れる。私は目を閉じて、それが通り過ぎるのを堪えるように待ち続けた。  あの時、鬼頭様の笑みを見て感じた胸の痛みは、そっと頭の奥に押し込んだ。
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