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④
海に出る者にとってライフジャケット着用は、必要最低限のマナーである。ライフジャケットを着用せざる者は、海に出るべからず。海が最も大切にしている行動規範だ。
海は、ライフジャケットを取りだし、
「ねえ君。このヨットに乗っている限りは、これを着てもらうよ」
バウにいるナオミに話しかけた。
しゃがんでいる少女は、海の言葉を聞いているのかいないのか沖を見たり海面を見たりする。
「じゃあ、降りてもらうしかないな」
海はきっぱりと言った。
海の言葉に少女は、また海に飛び込むと騒ぎ立てると思ったが、慌てたように振り返って、
「着るし! かして!」
奪い取るようにしてライフジャケットをつかんだ。すぐにナオミは、アームホールに腕を通し、いそいでファスナーを上げた。
「これでいいんでしょ。なんか、窮屈だし。もう脱ぐし」
海を睨みつけるナオミだが、言葉に反してライフジャケットを脱ぐようなことはしなかった。
「うん。それでオッケイ。じゃあ、ちょっと海のおさんぽをするかな」
ひとまずほっとする海だった。ナオミには翻弄されっぱなしだ。
桟橋では、3人の児童養護施設指導員とおんじがずっと見守っている。海は、軽く手を振ってスロットルを回した。ブルルルルルルンと船外機が音をたてて港外に向けて走り出した。
ナオミは、相変わらずバウで沖を見ている。
変わった子だ。海が始めて見るタイプの少女だった。
いきなり飛び込んできてからは、海が、何をしたと言うわけでもないのに。ずっと怒ったような口ぶりだ。
今も、海に出て喜んでいるようでもない。むしろ、頭を抱えている。海には、ナオミが自分のとった行為を反省しているように見えた。
20分ぐらい航行して、ヨットは桟橋にもどった。その間ナオミはずっとバウで座っていた。
「おかえり」
おんじが手を挙げている。その腕に向けて海は、ロープを放り投げた。ヨットを桟橋に横づけする。
ナオミは、ヨットから降りて桟橋に渡ってからライフジャケットを脱いだ。海の言った、『ヨットに乗っている限りは着てもらう』という言葉を覚えていて律儀に守ったのだろうか。
このナオミと言う少女は、偏屈なのか素直なのかよくわからない。言葉遣いは荒いが、こちらの言うことはちゃんと聞くようだ。全く海が初めて見るタイプの少女だった。海は、少しナオミの存在に興味を持った。
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