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①
吉原海は、今日の青空に満足し深呼吸をした。船や船具に潮が着いてハーバー内は、一段と潮の香りがする。
海は、7mクルーザー(ヨット)の船外機(エンジン)を水中に降ろしスターター(エンジンを始動するひも)を引く。ブルルルンと船外機が震えた。「よし、直った!」
初夏の汗をぬぐいつつ、海は、ヨットの上で体を伸ばした。
隣のヨットで補修の作業をしていた初老の男性が、顔をのぞかせる。白髪に顔一面の白髭ゆえにハーバーでは、『おんじ』と呼ばれている。アニメ『アルプスの少女ハイジ』に登場する老人『アルムおんじ(アルムのおじさん)』を彷彿とさせるからだ。
「おう、修理できたかい。バイト青年やるなあ。ほれ、ご褒美だ」
おんじは、クーラーボックスの水を海に放り投げた。両手で、キャッチする海。
「おんじさん、ありがとうございます!」
海は、頭を下げた。
「大学生にしちゃ。礼儀正しいじゃねえか。この前の奴は『あざーす』だったからな」
「大学生はみんなそうですよ。僕なんかは、4年生で就活中だから、言葉遣いは一応気をつけているだけですよ。そうは言っても、会社なんてあんまり行きたくないですね」
「そうか、人それぞれだからな。まあ礼儀正しいのはいいこった。で、エンジンがかかったところで、海に出るのかい?」
「はい。エンジンテストで問題なければ終了で、バイト代がもらえますから。ちょこっと湾内を回ってきます」
海は、そう言いながらライフジャケット(救命胴衣)に手を通した。
「ほい。じゃあ、舫をはずしてやらあ」
おんじは、海の乗るヨットのロープを防波堤からほどいた。
「助かりまーす」
そう言いつつ船外機のスロットルを回した時だった。
「いやだああああああ」
女性のけたたましい声が近づいてきた。
2人が見ると、岸側からこちらに向かって、髪を振り乱した小柄なセーラー服の少女が駆けてくる。
海のヨットは、そんなことには気にせずゆっくりと桟橋を離れる。
その少女は、出航しつつある海のヨットの前で、よろけながら立ち止まり、後ろをふりむいた。彼女の後から男性が2人、さらにその後から女性が1人追いかけてきている。
「沢村さーん、待ちなさーい!」
追いかけてきているスーツの男性が手を振っている。女性も無言で走る。
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