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コケの一念速さで勝る
ヒヨ鳥鳴き叫ぶ東雲空の下、
今日も私の背後から一人の男子が猛スピードで追い抜いて行く。
彼は2年1組、端郎崎マサル君、推定17歳。
漫画部所属で背が高くてちょっとイケメンで・・・
そして私と同じ特進クラスである。
私としては、
彼の事を別段気に掛けているわけではないが、
教室での素行があまりにもひどいので、
ついつい気になってしまう。
彼は窓際の席で一番後ろなのをいいことに、
居眠りしているか、
漫画を読んでいるか、
紙将棋をしているかのどれかである。
私たちは選ばれた優秀な特進クラスなのに、
彼が授業をまともに受けている姿を、
全く見たことが無い。
しかしそれでいて、
学年で3番目の成績を維持している理不尽さには、
納得がいかない。
そんな彼であるが、
単に賢いだけの存在では無く、
その頭の良さが霞むくらい足が速い事で、
有名である。
その足の速さに関しては、
英雄と目されているくらいだ。
この英雄と言う称号、
このように皆から注目を浴びるには
伝説的な物語が必要である。
その事に関しても彼はクリアーしていて、
3つの伝説保持者である。
伝説のその壱、
1年生の時の運動会で最後の種目の、
学年無差別クラス対抗リレー決勝でアンカーを務め、
最後尾から5人抜きを披露して一位になり、
一躍時の人となった。
伝説その弐、
購買から一番遠い彼のいた教室から、
12時の鐘が鳴った途端走り出し、
1日限定1個の幻のカレーパンをゲットし、
隣の席の美代子ちゃんに進呈した。
この事によって、
美代子ちゃんと付き合い始めたわけではない。
伝説その参、
毎週木曜日17時に開催されるスーパー角丸の、
超絶激戦が繰り広げられる、
1パック12個入りの卵のセールに間に合い、
4パックをゲットした。
学校の校門からスーパー角丸までの距離は約2キロ、
終礼時刻16:50分、
帰り支度をし、
教室を出て校門までの移動時間は5分30秒。
この時点で16時55分30秒なので、
17時まで残り4分30秒。
彼がスーパー角丸に到着してすぐに、
2パックを持って一番最初にレジに並んだと言う目撃情報があるので、
多少尾ひれが付くが、
約2キロの距離を4分30秒前後で走破したことになる。
これは2000メートルの世界記録が、
4分44秒79で有る事を考えれば、
並大抵の偉業ではない。
と言うか世界記録を更新しているかもしれない。
しかも彼は人気者なので、
色々な人々から声を掛けられながらの走破である。
余談だが、
おひとり様2パックまでだったので、
家とスーパーを更に往復して2度目は女装をして赴いたようだ。
以上が伝説の内容である。
そんな足の速い彼を当然学校側が放っておく訳が無く、
陸上部顧問が執拗に勧誘していたようだが、
彼は頑なに断り続け、
今現在は漫画部で安穏と活動している。
そして、
当然こんなに目を引く彼は女子受けが良く、
何人かが告白したようだが、
成功者は今だ現れていない。
──
では引き続き私と彼との事を語るとする。
私の席は廊下側の最後尾である事もあって、
窓際最後尾の彼と教室内で絡むことは無い。
話したことも無い・・・と思う。
いつも彼の事を目で追ってしまう私に、
隣の席の橋田さんが気付き、
「端郎崎君に興味が有るの?」と聞いてきたが、
「誰があんな奴!」とか言ってしまった事が有る。
恐らく私は、
教室での彼の素行を気にするくらいは、
興味があるのだろう・・・
と言うかむしろ教室以外での彼に興味ビンビンである。
実は私と彼との接点は、
平日は毎日で、
1日1遇の仲なのである。
事は朝の通学時に起こる。
特進クラスの朝は早く、
早朝の授業は、
7時30から始まる。
学校までは3キロほどで、
その内学校手前の2キロはほぼ直線である。
私は学校には早く着いてから、
のんびりしたい主義なので、
6時には家を出て、
歩きで学校に向かう事にしていた。
だが母親の希望で、
6時30に家を出て欲しいと、
要望があったのでそうすることになった。
これは母親が弁当を作るのに、
早起きするのが辛いとの意見を反映した結果である。
そんな出発時刻変更があった初日に彼と遭遇した。
私はスマホで動画を見ながら、
ほのぼのと歩くのが好きで、
交通事故に合うかもしれないから、
歩きスマホはダメだと言われても、
これだけは譲る気はない。
そんな生ぬるい空気が漂う通学時、
背後から異様な殺気を感じた。
少し後ろを振り向くと、
同じ学校の男子が
風を舞い上げ、
平然とした表情で、
私を猛スピードで追い抜いて行った。
それが彼である。
どうやら私の事は眼中に無いらしく、
挨拶すらされずに通り抜けていった。
と言うか、
私が同じクラスで有る事さえ、
知らないのかもしれない。
こんな失礼な奴、
ムシ!ムシ!、
と最初は気にも留めていなかったが、
毎朝出会うものだから、
徐々に彼に興味が湧いてきた。
興味1:
変な走り方に呆れた。
なぜアレで早く走れるのか不思議だ。
興味2:
私の背後から追い抜いて行く時の、
彼の汗の匂いは、
なぜだかドキドキさせられる。
この彼の汗の匂いに惹かれてしまう事が、
彼を一人の男として好きで、
惹かれてしまっているかはまだ分からない。
もしかしたら好きなのかもしれないし、
好きで無いのかもしれない。
ただ、
イロイロと考えると、
モヤモヤしてしまう。
──
そんな気持ちのまま月日が経ち、
いつの間にか私は毎朝彼に抜かれる度に、
彼の後ろを追いかけて走るようになっていた。
彼も人なり予も人なりと言う、
ことわざがあるが、
まさしくソレで、
私もいつか彼のように、
早く走れるのかもしれないと、
挑むようになっていた。
そしてこれは、
人生を賭けた挑戦の日々の始まりであった。
・・・なんてねwww
それほど大それたものではないが、
こうも毎日ビュンビュン追い抜かれていては、
私の沽券にかかわるので、
彼を追い抜く・・・いや、
追い着いて優越感に浸りたくなってきた。
──
私と彼の状況を今一度確認する。
私と彼の遭遇地点はおおよそ同じで、
学校の手前2キロメートルの、
棒棒茶が置いてある自販機前である。
その地点から彼が私を追い抜いた後を、
私が彼を追いかけて彼に追いつくのが目標である。
──
9月末に始まった、
私の挑戦は思うようにはかどらなかった。
11月末、
2ヶ月経った時点で後ろを追いかける私の姿を、
知らしめることさえできておらず、
彼は私の奇行を知る由も無かった。
ただ、
毎日走っているせいか、
体力は付いたような気がする。
12月の終業式の朝、
私を追い抜いた彼の足は、
いつもより力弱いように思えた。
どうやら風邪をひいているようで、
走る軌道に定まりが無い。
そんな彼ではあるが足だけは速く、
あと少しで手が届きそうだったが
この時も追い着くことはできなかった。
──
私は冬休みに入って、
毎朝3時に起きてマラソンを行うようになった。
私に足りないものは、
速さと持久力だ。
なので20キロマラソンで持久力を上げ、
50メートルダッシュ10本で、
速さを身に着けた。
そして腹筋、腕立て伏せ、スクワットで、
基礎体力を上げた。
──
1月の始業式の朝、
彼が私の背後を通り抜けた。
私はクラウチングスタートをする為に、
地面に指を着いて息を整えた。
そして足を後ろに蹴り、
地面を擦らないように、
スタートを切った。
恐らくスカートが跳ね上がる私の姿を見て、
学生や、
サラリーマンや、
奥さんたちは笑っているだろう。
それくらい必死で彼を追いかけた。
もしかしたらパンツが丸見えなのかもしれない、
もしかしたら知り合いが見ているのかもしれない、
もしかしたら学校で変な女だと噂されるかもしれない、
そんな危惧を押し払いながら、
遂に私は彼の肩に手を差し伸べる事に成功した。
彼は何が起こったのか分からないと言った表情で、
私を見て立ち止まった。
私は彼の前で顔を落とし、
息を整えながら下の方から上目遣いで語り掛けた。
「マサルくん、おはよう」
「ああ? おはよ」
「マサルくんって脚が早いよね」
「君は・・・ 確か同じクラスの」
「ねえ、全速力で走るマサル君の肩に手を着けたって事は私の方が足が速いって事だよね?」
「え?」
「早いよね!」
「まあそうかな」
「と言う事はマサル君の負けだよね」
「え? 何だか強引な感じだね」
「と言う事で、私はマサル君に勝ったのだから賞品をもらう権利が有るよね!」
「・・・まあ足が速いのは認めるよ、悔しいけど君の勝ちだ」
「そうでしょ、なんたってたって運動会の英雄様に追いついたのだから」
「それで賞品は何を渡せばいいんだい? お菓子でもあげればいいの?」
「そんなのじゃダメよ、足りないわ!」
「じゃ何を?」
「私と付き合いなさい」
「え!」
「ねえ、いいでしょ!」
「・・・・・・まあいいけど」
「そっ♡ ありがと」
──
3年後、鶯がぎこちなく鳴く2月末の肌寒い朝。
「あの時の君は強引だったよね」
「そお? 私はあなたに追いつく為に約2ヶ月間頑張ったのだから、当たり前の結果なのよ」
「普通2ヶ月で早くならないって」
「そお?」
「それにしても君は瞬く間に有名人になったよね。今ではオリンピック強化選手に選ばれてるなんて信じられないよ」
「まあ、あなたのおかげなのかもしれないわね」
「ちぇ! 何だか僕は君の踏み台になった気分だよ」
「踏み台でいいじゃない。アレが無かったら跳び箱も高く飛べやしないわ」
「・・・お気遣いありがと」
「どういたしまして、──それじゃ今日も走るわよ」
「ヘイヘイ、お姫様」
end
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