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4章 枷と自由 48.地の司
「お師匠さまっ……! いくら何でもあれは、乱暴だったと思いませんか……??」
紅潮した頬の上、怒ったような眉の下、きりりと吊り上げられた空色の瞳が潤んでいる。
泣きそうな顔だ。いや、実際ちょっぴり泣いていたのかもしれない。
しかし、賢明にもスイはそれを言及しなかった。
代わりに――こてん、と首を傾げ、人差し指を顎に添えると、さも不思議そうに一番弟子へと問いかける。
「? おかしいな、風の子らには『とっっても優しく』と厳重にお願いしたのに……怖かったの? キリク。それは申し訳なかったね」
ぐぅ……! と、少年の喉が鳴った。「怖くなんて、ありませんでしたけど……!!」と、呟きにしては大音量の強がりが絞り出される。
にこ、と魔術師は微笑んだ。
「なら良かった。風の子らを叱らずに済む……エメルダは? すごく楽しそうだったね」
「えぇ!! 地の小人さんと両手を繋いでね、こう……輪になって落っこちたの。びゅうぅっ……て! 最初はドキドキしたけど、ここが見えてからは風さんに助けてもらえたし。言うことなしよ! また来たいっ!!」
いつにも増して元気なエメルダは、興奮のためか愛らしい頬をつやつやと桃色に染めている。
両手を握り拳にしての力説なので、本当に楽しかったのだろう。良かった良かった……と、スイは頷いた。
和気あいあいと会話をする師と妹弟子を前に、キリクは口をぱくぱくとさせた。中途半端に右手が浮いている。
何か、言葉にならなかった訴えがかれの膝の上辺りに落ちていそうで――セディオは左隣の小さな肩に、ぽん、と手を乗せた。
「気にすんなキリク。誰にでも苦手なもんはある」
「……セディオさんは平気だったんですか? すごく静かでしたけど」
少年は、じとりと細工師の顔を流し見た。いわゆる八つ当たりだ。
(非難される謂れはないんだがな……)と思いつつ、セディオは軽く笑んで答える。
「そりゃまぁ、おっかなかったけどさ。先にスイが単身で飛び込んで、そのあとお前らだろ? ノームもやたらと乗り気だったし……あれだ。諦め? ってやつ」
その、悟りきったように静かな眼差しをまじまじと見つめたキリクは「なるほど……」と、妙に感慨深げな相づちを打った。
「つまり、惚れた弱味っていう」
「うっせぇよ」
――おそらくは、図星。
セディオはちょうど良い位置にあった金茶の髪を、ぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
* * *
「なかなか楽しそうな子たちね」
「えぇ。全員私の家で預かることになってる。食い扶持が増えちゃったから、小麦、帰りに分けてもらってもいい? アーシィ」
「いいわよ。じゃあ……」
ふ、と紫の髪の美女が側に立つ三体の地の小人へと視線を合わせた。
“お前達、小麦の刈り入れをお願い。スイ達に持たせてあげられるだけ”
“はーい!”
“お任せ!”
“束でいいの? 粉にするの?”
“えぇと……出来れば、粉で”
申し訳なさそうな顔のスイ。何しろ四人分だ。今までは適当に自分で刈り取って帰宅後ゆっくり挽いていたが、さすがに量が嵩張りそうだと、ノームの申し出に甘えることにする。
三体のノームは、にこにこと揃って“いいよー!”と告げると、さっさと四阿を後にした。
キリクは、かれらの姿が遠のいてから小さく挙手し、師に問いかける。
「あの。ひょっとして、あそこの小麦畑は……?」
「うん。上層都市に住む人のために、アーシィに育ててもらってる。ここが一番よく実るから」
「ふふ。ひどいのよ、この子ときたら。あれは……まだ貴女が全き紫水晶だった頃のことね。どこからか種を持ってきて『蒔いていい?』ですもの。あれには笑ったわ。とても面白かった」
しゃりん……と、どこからともなく涼やかな音色。一同は暫し、惜しげもなく深く豊かな声で笑い、不思議な紫の髪を肩の後ろへと流す地の司に魅入られた。
――スイ以外は。
「また。そうやって何でも面白がって……で? もちろん、認めてくれるでしょう? かれらの移住」
「いいわよ。えぇと……キリク?」
「! は、はいっ!!?」
突然、名を呼ばれた少年は打たれたように姿勢を正した。その様にも、美女はくすくすと微笑う。
「流浪の彫刻師で魔術師、トーリスの養い子ね。……励みなさい。スイは精霊から愛される善い魔術師。学ぶことも多いでしょう。祝福を」
キリクの身体をじわりと、温もりと光がともに広がった。知らず、込み上げる高揚感に胸がどきどきと高鳴る。
少年は嬉しそうに笑みを返した。
「ありがとうございます……!」
「で、稀有なる翠の子――エメルダ」
「はい」
意外にも、エメルダは地の司に対してはとてもしっかりとした対応をする。
落ち着き、澄んだ眼差しで、自らに向けられる月のない夜色の視線を受け止めた。
「平和と豊かさの象徴、緑柱石……其方の生きざまもそうあるように。スイを師と仰ぎ、人の子キリクを友に学びなさい。其方の姉妹の分もあわせて、祝福を」
ふわ……と、翠の髪が靡く。
少女は何かを受け入れるように上向き、そっと大きな瞳を閉じた。
「……ありがとうございます」
「宜しい。で、貴方が最後ね。人の子の細工師、守られし王子セディオ」
「は?」
思わず、素で訊き返した。
若干の緊張とともにある程度の心構えはしていたが、呼びかけの二つ名が意外過ぎた。
――都合よく切り離された。或いは飼い殺された、のほうがまだしっくり来る。
青年の戸惑いを余所に、アーシィは慈母のごとき笑みを浮かべた。
「其方の意思に関係なく、いずれ呼び戻される時が来るでしょう。そのとき何を選ぶかは、其方次第。……わたしはスイが可愛いが、其方の祖先もまた、愛おしんでいた。ケネフェルには、王の血がまだ必要でしょうね。祝福を」
「!!」
さらっと告げられた予言じみた台詞に、セディオは『それは、本当に祝福なのか……?』と問い質したくなる衝動を必死に抑えた。身体の内側を巡る光が落ち着いたあと、辛うじて「……どうも」とだけ呟き返す。
アーシィは、それを別段咎めることもなく、微笑んだまま應揚に頷いて見せた。
相変わらず楚々とした美女なのだが、どこか武人――将軍のようでもある。
(読めねぇ……流石っつうか。スイ以上に読めねぇ!!)
四阿ではなく、青年の心の中出
絶叫が木霊した。
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