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4章 枷と自由 49.刈りとる穂、摘みとる芽
「案内するよ」
地の司が席を立ち、一行はそれに従った。
風、というほどでもない空気の流れが柔らかく頬を撫でる。それは、ここが地の底であることをうっかり忘れさせるほど優しいものだった。
――樹や花、土の香りが、濃い。
紫の髪の精霊が一歩、地を踏みしめるたびにそこから草が萌え出で、瞬く間に葉と花を茂らせる。
しかし無尽蔵ということはなく、範囲はささやかなもの。一旦咲いた花は生長を止め、もっとも盛りなのだろう、その時で姿をとどめた。
「……相変わらず、無節操に器用だねアーシィ」
苦笑を溢すスイに、地の司はふわりと微笑む。
「そんなことないわ。ちゃんと、制御してる。以前ほど密林じゃないでしょう?」
「まぁ……そうだけど。たびたび来る身としては、いつもこれくらいだと助かるかな」
「――待て。密林、てのも気になるけど……『たびたび』?」
先頭をアーシィ。続いてスイ。その両隣を弟子達が固めての最後尾。もはや定位置とも言える少し離れた場所から呟いたセディオの声は、低く、どこか艶めいて響いた。
「そう」と。
右手をエメルダと繋いだスイがちらりと振り返り、答える。
「いま向かってる小麦畑もだけど。地に実るものは何だって、アーシィの周りに植えるのが一番だよ。ちょっと変わった果実とか薬草なんて、人の世じゃありえないくらい順調に育ってる。『なんてことだ! ここは理想郷か?!』……って、ほくほくになってる学術都市の住人もいるんだよ? 薬学者で。かれだけは、第三階層で暮らしたいと最後までごねてた」
「まじか……」
あくの強そうな人物を想像したのだろう。小豆色の髪の青年はげんなりとした。
くすくす、くす……と笑みを漏らすスイは、どことなく少女のように見える。
「だからね。ちょくちょく、皆、ここには来てる。たいていは宝石の誰かに頼んで、門の子を喚んでもらっての“転移”を使って、だけど」
「“転移”……! してもいいんですね? 良かった……!!」
一番弟子の少年は、ぐっと左手を握って力強く、半ば独り言ちた。師を挟んで右側の少女は落胆する。
「えぇぇ……。わたし、次は自分で結界張って、流砂下りしてみたかったわ」
「どうぞどうぞエメルダ。僕は遠慮する。そりゃ、はやく言語を学んで、自分で出来るようになったら……とは思うけどさ」
「はい、そこまで」
黒髪の美女は、両脇で角突き合わせてきゃんきゃん言い始めそうになった愛弟子らの頭を引き剥がし、ぽふん! と手を乗せると、容赦なく、それぞれの髪を思いきり撫でまわした。
左右から抗議と嘆願の声が上がるが、綺麗に無視する。
「うーん……人の世のお母さん達は凄いよね。これくらいの子らを、どうやって育ててるんだろう」
あら、と地の司は黒玉の瞳を瞬いた。
「かたや精霊だし、かたやトーリスが育てた男の子じゃない。貴女に泣き言は似合わないわよ。精進なさい」
くすくす……と、今度は万物の母とも呼べそうな古い精霊の人型が、楽しげな笑い声をあげた。
「……!」
「ぅわ……」
彼女の歓びに反応してか、周囲の緑葉が一斉にふるえて露を弾き、きらきらと宙を舞う。
細かな滴は一行に降りかかる前に、ふぅっ……と、霧雨のような白銀の光となってかき消えた。
* * *
“はい。ひとーつ”
ととと……と、小さな体のノームが一体、背に麻袋を乗せて走ってくる。重そうだが楽しそうだ。
どさっ! と積まれた袋はこれで三つめ。
あと一つあるから待っててね? と言語で告げたかれは、再び小麦畑へと入って行った。
その背を、セディオとスイの二人で見守る。
「……手前から刈り取るわけじゃないんだな?」
「ん……地の小人は凝り性なところ、あるからね。刈る順番とか決まってるんだろうね。世話は、かれらが全部してくれてる」
第三階層。地の大空洞の片側三方向は、ほぼ全てが小麦畑だ。それは、俯瞰すると三日月の形に似ていた。
『ごめんね。綺麗だからつい、増やしちゃったわ』――と。
昔、ころころと笑いながら宣った当の大精霊はキリクとエメルダを相手に、早速初歩的な“失われし言語”を教えてくれている。
アーシィが何事か歌うたび、輪になって座り込んだ彼女らの中心で光がはぜ、花が咲く。少年と少女はその様子を、夢中で眺めているようだった。
(エメルダは魔法を使えるけど、本能任せだものな……)
これから。
まずは身分証の確保。弟子達への教育、生活のサイクルをどうするか。衣食住で足りないものを揃えて……――忙しく回るスイの頭のなかで、しかし何かがカチッと引っ掛かった。
ちら、と隣の青年の横顔を窺う。
(やっぱり、彼の両親はいずれ、彼を必要とするんだろうな)
現王室の苦境は知っている。
王太子である彼の兄のことも。
だからこそ、彼にとってはこの上ない亡命先にあたる学術都市への移住を認めたのだが。
(……こんなに、好きになるものとは思わなかった)
砕けるはずのない核が軋むような感覚に、スイは胸を押さえた。ぎゅうっと目を閉じ、顔をうつ伏せる恋人に――セディオは、秒で反応する。
「どうした? …………は、愚問か。あのさ、スイ」
「うん?」
まだ痛そうな顔のくせに口角をあげて微笑もうとするスイに、セディオは素早く口づけを送った。
触れるだけのそれ。音もなく、掠めるだけの温もりを。
ふいを突かれ、思わず目をみひらいた元・紫水晶の女性は、次の瞬間、あたたかな腕のなかに引き込まれていた。
「!!!!」
核どころじゃない。人の子としての身体が勝手に反応する。これはこれで非常に困る……!
「セ」
「俺は、あんたを選ぶ。どんな時でも。非情と謗られてもだ。だから」
そうっと、指で顎を上向けられた。抗議しようとしていたはずなのに。
甘い光の宿る碧眼から、つい、目を逸らせなくなってしまった。
「セディ」
「そんな顔すんな。言ったろ? 俺は、決してあんたを傷付けたりしない。側にいる。だから、あんたも俺の側にいて欲しい。身も心も全部。
あり得ねぇ考え事なんか、どっか置いてこいよ。それとも――忘れさせてほしい?」
「!! もうっ。この、細工師どのと来たら」
「来たら?」
セディオが唇を歪める。
いわゆる、とても人の悪い笑みなのだが……これを、とんでもなく好ましく感じる自分は、ひょっとして趣味が悪いんだろうか。
埒もないことを考えたスイは、抵抗を諦めた。こてん、とそのまま彼の胸に頭を預け、温もりを享受する。
「……なんでも、ない……」
頭上すぐ近くで、ふっと吐息に近い笑みが溢れ落ちる。それと――――
“お待たせ! 出来たよ~”
“これで四つ!”
“あ〜〜、でもさあ、もっと待たせたほうが良かった?”
「えっ、いいえ? だ、大丈夫。あの」
「……スイ、それ言語じゃねぇぞ」
もっともな指摘に、魔術師は、ハッと羞恥に頬を染める。
軽く咳払いし、改めて小さな働き者らと視線を合わせ、しゃがんで向き合った。
“……ごめんね、大丈夫。ありがと、ノーム達……”
“いえいえ~”
“どういたしまして~”
――――
にこにこと。
罪のない笑顔の地の小人らが、仕事を終えて小麦の穂をかき分け、ひょっこり出てきたのは、ほぼ同時だった。
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