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結局利夫さんを納得させられないまま、私は同意書を手に藤宮先生の元に行った。
私の報告を聞いた藤宮先生は、またも衝撃的なことを言う。
「じゃあ、神崎由美さんは音無先生が執刀ってことで」
あっさり言われ、私は目を丸くする。そのままデスクに戻ろうとする藤宮先生を、私は慌てて追いかけた。
「ちょちょ、ちょっと待ってください! いきなり執刀なんて、無理に決まってるじゃないですか!」
すると、頭上から呆れたようなため息が降ってきた。
「無理? 目の前に患者がいるのに?」
「なっ!」
(あなたが言う……!?)
「目の前で溺れている人間を、あなたは見捨てるつもりですか。それでもあなたは医師ですか? 研修医でもあるまいし、戯言はやめてもらえませんか。ここは綺麗事が通じるような甘い世界ではない」
「それは……」
そうだろうが。
拳を握る。
だが、私はまだ開胸ひとつとっても未熟で、とても褒められたものではない。危険度が極めて高い今回のようなオペを任されていいはずがないのだ。それになにより、彼女の命を預かる自信がない。
私は俯いた。
「私は心臓外科領域における実務経験はまだほとんどなくて……助手として携わらせていただきたいとは思ってましたけど、いきなり執刀なんて、とても……」
藤宮先生は、鼻で笑った。
「ちょうどいいんじゃないですか。患者が音無先生を望んでるんだから」
耳を疑う言葉に、私は言葉を失くした。
(……ちょうど、いい?)
私の中で、怒りの蓋が豪快に外れる。
「……有り得ません。元はと言えば、藤宮先生が火種じゃないですか。あんな説明のされ方をしたら、誰だって困惑します! 藤宮先生は、本当に由美さんを助ける気があるんですか!?」
思わず藤宮先生を強く非難する。
「俺は事実を言っただけですよ。そして、あの人たちは俺には助けてほしくないと言っている。だったら俺はオペはしない。患者は他にもたくさんいます。俺はあなたと違って暇じゃない」
「……あ、あれは、藤宮先生の言い方に問題があったからで……もう少し希望を与えてあげても良かったと思います」
しかし、彼の口から飛び出したのは、さらにキツい一言だった。
「オペの危険性をオブラートに包んで失敗したらどうなるんです? 神崎さんの場合、かなり厳しいことは事実だ。希望なんて持たせてもろくなことになりません。医師は神じゃないんです」
「……それじゃあ、選択肢なんて最初から意味がないじゃないですか」
悔しくて泣きそうになる。私は震える声で続けた。
「……神崎さんは突然由美さんが倒れられて、不安でいっぱいなんです。正常な判断ができるわけありません。それなのにあんな言い方されたら……患者本人だけでなく、ご家族の不安も余計に煽るだけです。藤宮先生は正しいかもしれないけど……そんなんじゃ、助けられる命も助けられないと思います」
「……言いたいことはそれだけですか」
思わず拳に力が入る。
「患者の家族にまで気を使っていたら、いくら時間があっても足りない。現に音無先生が割り込んできたせいで、かなりのタイムロスなんです。あの患者が緊急オペの前に急変したら、音無先生の責任ですよ」
藤宮先生は、冷淡に言い捨てて去っていく。
(……私が藤宮先生のように技術を持っていたら。……執刀できたら、神崎さんにこんな思いをさせずに済むのに……)
涙が落ちないよう、私は天井を仰いだ。
「……分かりました。もう一度、説得に行きます」
そう藤宮先生に背中を向けたときだった。藤宮先生のPHSが鳴った。
「はい」
藤宮先生が素早く出る。
『神崎由美さん、急変です! 血圧かなり下がってます』
「すぐ行きます。音無先生、急変。神崎さん」
藤宮先生は険しい顔つきで私に言いながら、駆け出した。
「……っ!」
私は藤宮先生の後に続き、ICUに向かう。
(なんで今……!)
廊下を全速力で走りながら、私は奥歯を噛み締めた。
由美さんは心タンポナーデを起こしていた。
駆けつけた藤宮先生がその場で開胸し、直接心膜を切開して排液を促したものの、由美さんの止まった心臓がもう一度動くことはなかった。
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