第一章・心臓破裂、何秒前?

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 霊安室(れいあんしつ)にいくと、利夫さんは誰かと話していた。私は思わずドアの前に隠れて、こっそりと中を覗く。  薄暗い霊安室の中にいたのは、私より先に医局を出た藤宮先生だった。中で話す藤宮先生の声が漏れ聞こえてくる。 「……私は以前、救命にいました」   その言葉に、ドクンと胸が弾んだ。  私は書類を胸に抱き、そっと様子を窺う。藤宮先生は相変わらず表情はなく、声に感情もこもっていないけれど、まっすぐに利夫さんを見つめていた。 「ここに運ばれてくる患者の大半は意識がなく、一刻を争う重症者が多い。けれど、ドクターヘリで運び込まれたあなたの奥さんは意識があった。強い胸の痛みで苦しかっただろうに、ずっとあなたの名前を呼んでいたそうです」  私たちはその状況を知らない。藤宮先生もそうだ。きっと、フライトドクターから聞いたのだろう。 「神崎さんの場合、オペをしても助けるのは難しいと思いました。もちろんあなた方がオペを選択すれば絶対助ける気ではいたけれど、正直命が助かったとして由美さんが目を覚まさなかったら、なんの意味もない……だったら、残された時間を二人のためだけに使うのも正しい選択だと思いました」  利夫さんは口を挟まず、ただ静かに藤宮先生の言葉に耳を傾けていた。  「医師から状況を聞いたとき、冷静でいられた患者の家族を、私は見たことがない。長々と説明をしたところで、ただ二人の時間を奪うだけだ。どうせ冷静な判断なんてできないのなら、ない時間を絞り出して与えるより、じっくり説明するより、時間をあげたかった」  藤宮先生の声は震えていた。 「私は……それでも、どうにか助からないのかって、由美の顔を見ながらもそればかりで……由美をちゃんと送れなかったなぁ……」  すると、藤宮先生は利夫さんに丁寧に頭を下げた。利夫さんは驚いたように目を見開いている。 「あなたにも由美さんにも不安を与え、誤解させる言動をしてしまいました。申し訳ありませんでした」  「……そんな。顔を上げてください、先生。私の方こそ取り乱して申し訳なかった」  利夫さんは慌てた様子で頭を下げ続ける藤宮先生を止めていた。  (藤宮先生は、わざと……)  視界が滲んだ。  口答え禁止と言われた意味を、今になってようやく理解する。  私はどこまで浅はかなのだろう。経験豊富な藤宮先生の行動に、理由がないわけないのに。  藤宮先生の言葉に、利夫さんは泣きながら何度も首を横に振っていた。 「力及ばず、申し訳ありませんでした」   藤宮先生の声は、少しだけ震えていた。私は深く頭を下げる藤宮先生を見つめ、唇を噛んだ。  
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