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それから、どれくらい経っただろう。ふと、肩に温もりを感じてパッと目を開ける。
――と。
「……大丈夫ですか?」
目の前には、それはそれは綺麗な顔。一瞬、思考が停止する。
「…………ぬわぁっ!?」
藤宮先生がいた。叫んだ直後、藤宮先生は目を細めて眉間に皺を寄せる。
「……人の顔見て唐突に叫ぶとは、失礼な人ですね」
「すす、すみません……というか、な、なんでここに藤宮先生が?」
「……なにと言われましても。ここは仮眠室ですよ」
(そうだった。家じゃなかった……)
額を押さえた。
「……し、失礼しました……もしかして私、寝言とか言ってました? うるさかったですか?」
窺うように藤宮先生を見ると、彼は少し言い淀むように口を閉じた。
(……え、なに、この間)
「あの……藤宮先生?」
ひやりとした。変なことを口走ってないといいが。
「寝言は言ってなかったけど……魘されてました」
「……すみません、悪い夢でも見てたのかも」
前髪をくしゃっと無造作にかきあげながら、私は藤宮先生から目を逸らした。ふと落ちた沈黙に戸惑うように、藤宮先生が私を見る。
「…………大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
噛み付くように答えると、藤宮先生はそれ以上はなにも聞いてこなくなった。怒ったわけではないのだが。
「……すみません」
「なぜ謝るんです?」
「……いえ……その、すみません」
謝罪以外の言葉が出てこない。
「……まぁいいです。音無先生、今から出られますか?」
「え……え、い、今から?」
「はい。今から」
藤宮先生はそう言うと、私の手を掴んだ。そのままベッドからぐいっと強引に私を引っ張り出す。
「わっ……!」
その手は、思っていたよりもずっと大きくて力強かった。
✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽
そうして連れていかれたのは、病院の近くの定食屋だった。
のどかなオレンジ色の光が胸を温める。
店にこびりついた油の匂いや、快活な店員たちの声。すべてが心地良い。
がしかし、私は解せない。
「……あの、藤宮先生。これは?」
(私はなぜ仮眠から起きてすぐ、定食屋にいるのか……)
「夕飯です」
「あぁ、夕飯」
(それなら納得……)
「……って、そうではなく! なぜ私を連れてきたんです?」
うっかり納得しかけて、すかさずツッコむ。
「食べてないでしょう。俺が見る限り、あなたは今日一日なにも食べてない」
「……コーヒーとサプリは取りましたよ」
「それは食べたうちに入らない」
ぴしゃりと言われ、私は口を噤んだ。すると、藤宮先生はなぜだか罰が悪そうな顔をして言った。
「……入江先生に叱られました。ネーベンの体調管理はオーベンの仕事だと」
「…………」
笑顔で脅迫めいたことを言う入江先生が頭に浮かんだ。なかなかに怖い。
「ですが、俺だって忙しい。というわけで、あなたにはこれから俺と同じ生活をしてもらいます。俺が食べるときにあなたも食べる。俺が寝るときはあなたも寝る。そうすれば手間も省けるし、あなたの体調も今よりはマシになるでしょう」
それはそうかもしれないが。
「いや、それは少し強引過ぎるのでは……」
「いいですね?」
(強引……)
「……はい」
随分と勝手なことを言われている気がするが、なぜだか悪い気はしない。
「というか今、藤宮先生、私のことネーベンって言いました……?」
藤宮先生の言葉が頭の中でリフレインする。じっと藤宮先生を見つめると、彼は少しだけ頬を染めて、そっぽを向いた。
「なんです。あなたは俺のネーベンでしょう。……違うんですか」
口を尖らせる姿は、少しだけ子供っぽくて可愛らしい。
「……それは、そうですけど」
(ネーベン……ネーベンか……ネーベン)
「ふふっ……」
表情が綻ぶ。
「なに笑ってるんです」
不機嫌そうな声が返ってくる。それがなんだかおかしくて、私ははつらつとした声で言った。
「じゃあ、私は生姜焼き定食で」
「いきなり元気ですね……さっきまですんすんしていたくせに」
「すんすんなんてしてません。というか、我に返ったら急にお腹が減りました。藤宮先生の奢りなんて嬉しいなぁ。もっと高いの選べばよかったかな」
「誰も奢るとは言ってないんですが」
「え…………」
捨てられた子犬のようにしゅんと目を伏せると、藤宮先生は困ったように私の手を取った。手首の薄い皮膚から、じんわりと藤宮先生の体温が伝わってくる。
「……嘘です。奢るから、ちゃんと食べてください。これ以上痩せたら、あなた死にますよ」
思いの外心配そうな顔をして言う藤宮先生に、胸が鳴る。
「曲がりなりにも医師ですし、この程度で死にはしないと思いますけど……まぁ、食べます」
案外、藤宮先生は可愛いところがある人だと思った。
「音無先生は生姜焼き定食でいいですか?」
藤宮先生は、メニューを見ながら私に訊く。
「はい! じゃあついでにビールも!」
「調子に乗らない」
怒られた。
けれど、藤宮先生はビールもちゃんと付けてくれた。藤宮先生はもしかしたらツンデレというやつなのかもしれない。
そのとき食べた生姜焼き定食は、人生でこれ以上ないくらいに美味しかった。
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