第二章・心臓に秘めた想い

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 翌朝、小鳥のさえずりと自分ではないなにかのぬくもりを感じて目を覚ます。  ゆっくりと瞼を開けると、目の前にあるのはすっと通った鼻筋。 (わぁ……綺麗な鼻)  すっとしていて、毛穴なんて見当たらない。  寝惚けたまま、触れようと腕を動かそうとしたところで、手がぬくもりに包まれていることに気が付いた。 「ん……?」 (なんだ、これ……)  自身の手を見つめ、数秒。 「!?」  握られていた。ぎゅっと、まるで壊れ物を扱うように、すごくすごく大切そうに。 (え、待って待って、誰に……)  顔を上げようとした瞬間、目の前の影がもそりと動いた。そのまま私は手を強く引かれ、影の中にすぽっと収まる。 「ふにゃ!!?」  ぬくもりが触れ合った場所からじんわりと広がり、心臓がうるさいくらいに騒ぎ出す。がっしりとした腕が背中に回って、私の身体を拘束する。 「ん……」  耳元に湿った吐息が触れる。よく知る柔軟剤の甘い香りが、ふと鼻をついた。 (……あ、あれ、この匂い……) 「藤宮……先生?」  私を抱き締めていた人は手の力をかすかに緩めて、すっと身を引いた。  顔を上げると、綺麗な双眸の瞳と目が合う。 「……なにしてるんですか」  少しだけ寝惚けたような、とろりとした甘い声でそう言ったのは、私のオーベンである藤宮先生だ。 (……それはこっちのセリフなんですが) 「……藤宮先生こそ。というか……あの、ここ、私の部屋ですよね」  藤宮先生は私から離れると、気だるげに身体を起こして髪をわしゃわしゃと豪快にかいていた。 「そうだった……昨日あのまま寝たのか……」  私を見下ろすその視線には、昨日、私の体を心配していた優しさの面影は欠片もない。 「あの……」 (お互い服は着てるけど……これは、もしかして……やってしまったというやつ?) 「……音無先生」 (私のベッドに藤宮先生藤宮先生藤宮先生……)  思考が崩壊する。 「ふわぁぁあっ!」  思わず叫ぶ。 「……騒がしい」  じろりと睨まれた。 「すみません!」  私は思わず説教をくらう前の子供のように背筋を伸ばしながら謝った。 「そこに座りなさい」 「……は、はい」  既に座っていたが、私はとりあえずベッドの上で正座をする。 「……昨夜のことを覚えていますか」  考えてみるけれど、店をいつ出たのかすら覚えていない。 「……すみません、覚えてません」 「でしょうね」  正直に頭を垂れると、頭上からため息が降ってきた。耳が痛い。 「あの……その」  頬に熱が集まるのを自覚しながら、そろりと顔を上げる。 「私たちはその、いわゆるワンナイトとかいうやつをやってしまったのでしょうか……?」 「…………」  恐る恐る尋ねると、藤宮先生は無言のまま、私を凄まじい無表情で見下ろした。藤宮先生の無表情はいつものことだが、これはいつもの無表情の比ではない。 (鬼が降臨した……!!) 「んなわけないでしょう。なんで俺が酔っ払いを相手にしなきゃならないんです」 「あ、そ、そうですよね……なんだ、良かった……」  いや、良かったのか。分からないが。 「良かった?」  藤宮先生は心外だとでもいうように私をぎろりと睨んだ。 「いえ、すみません、なんでもありません」  ピッと姿勢を正すと、藤宮先生はちらりと部屋の中を見た。 「……そんなことより、音無先生はここに一人暮らしなんですよね」 「はい」 「……恋人は?」 「いませんが?」  ため息が返ってくる。 「……だったら、あなたは外で飲むのはやめた方がいい」 「え」  私は瞳を瞬かせた。 「職場の上司とはいえ、俺は男です。昨日のように外で酔っ払って……仮にひどいことをされていたとしても、あれじゃ文句は言えませんよ」  サーッと血の気が引いていく。 「……私、そんなに酔ってました?」  藤宮先生は一瞬、私から目を逸らした。 (……嘘。私、なにした!?) 「あのっ……」 「記憶にないならなおさらです。夜に付き合ってもいない男を一人暮らしの家に入れるなんて、非常識です」  その言葉は、グサリと私の胸を抉った。 「……すみません」  さっきまで熱かったはずの胸が、急に冷たくなっていく。  呆れられた。失望された。幻滅された……。 「そもそも弱いなら飲むのをやめるか、先に言いなさい。俺が連れていくから」 「え……?」  顔を上げる。  藤宮先生の呆れ顔はいつものことだけど、その中に少しだけぬくもりを感じる。 「オーベンとして追加。あなたは今後一切、俺の前以外でのアルコール摂取を禁止にします」 「えっ……えっ!?」 「口答えは」 「禁止……でした、ハイ」 「よろしい」 「あ、あのそれって……藤宮先生と一緒なら、飲んでもいいってことですか?」 「……どうしても飲みたいときだけですからね」  藤宮先生は窓の外を見つめ、言った。その横顔は私が憧れた藤宮先生より、少しだけ子供っぽくて、人間らしくて、胸がときめいた。 「朝ごはん用意します!」 「そんな時間ありません。今すぐ支度」 「はいっ!」  
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