第二章・心臓に秘めた想い

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 頼人くんが入院して、二日が過ぎた。術前検査は順調に進んでいる。  医局からICUに向かっていると、一般病室の前で患児と楽しそうに話す頼人くんに出くわした。  可愛らしいパジャマに身を包んだ女の子が、頼人くんになにやらこそこそ耳打ちしている。 (微笑ましい……)  話を聞く頼人くんの横顔はとても柔らかくて、思わず私まで頬が緩んだ。  女の子がその場を去ると、立ち上がった頼人くんと視線がぶつかった。 「あれ。音無先生だ。こんにちは」 「こんにちは、頼人くん。子供、お好きなんですね」  バインダーを片手に、頼人くんに歩み寄りながら言うと、 「……うん、まぁ」  頼人くんは一瞬、微妙な顔をした。 「頼人くん?」 「あ、いえ。あんな小さいのに病気と戦っていて、大変だなって」 「……でも、楽しそうでしたね、お二人とも」 (頼人くんのあんな笑顔、初めて見たかも)  女の子と話す頼人くんは、いつもの大人っぽい笑みと違って無邪気な笑みを浮かべていた。 「……子供は嘘をつかないから」  ぽつりと言った頼人くんは、少しだけ寂しげな顔をしていた。 (どういう意味だろう……?) 「……あ、そういえば頼人くん、もうすぐ検査ですよね。一旦病室に戻りましょうか」 「はい」  頼人くんを病室まで送り、ベッドに入るのを見届ける。 「じゃあ看護師を呼んできますので、ちょっとお待ちください」 「……あ、あの。音無先生」  出ていこうとする私を、頼人くんが呼び止めた。 「どうしました?」 「僕の手術は、音無先生がやってくれるんですか?」 「いえ、オペは藤宮先生が執刀します」 「簡単なものなんですよね?」 「人の手で行う以上、絶対という約束はできませんが……難しいオペではないですよ。時間も三時間ほどの予定ですし、その後長期入院にもなりません。切開部もほんの数センチで済みます」  頼人くんが安心できるよう、私はできるだけ柔らかい声音で説明する。 「……すみません。手術の日が近づいてきて、少しだけ不安になってしまって」  頼人くんはまだ十四歳。  いくら簡単なオペとはいえ、全身麻酔で身体に傷をつけるのだし、怖くないはずがない。 「頼人くん」  私は頼人くんの手を優しく取った。頼人くんは不安そうな眼差しで私を見上げる。 「少しでも早く頼人くんが元気になるよう、私も最後までしっかりお手伝いさせていただきます。だから、一緒に頑張ろう?」  すると、頼人くんはおもむろに言った。 「……音無先生は、怖くないんですか?」 「怖い?」 「僕みたいな、有名な人の子供を助けるの」 「……たしかに緊張しますね。頼人くんのお父様は立派な方ですし、影響力も大きいでしょうから……」  頼人くんは俯きがちに私の話を聞いている。私は頼人くんと視線を合わせ、続けた。 「……でも、その前に頼人くんはこの世界にたった一人しかいないかけがえのない男の子です。そういう意味では、誰を助けようとするときでも怖いのは変わりません」 「……そっか」  頼人くんがくすりと笑う。 「……と、実はこれ、藤宮先生の受け売りなのですが」  ぺろりと舌を出して白状すると、頼人くんはまた小さく笑った。それでもまだ頼人くんは元気がない様子だ。 「藤宮先生はなんといっても、ゴッドハンドですからね!」 「でも……藤宮先生は僕のこと嫌いでしょ」 「え、どうしてですか?」 「だって、藤宮先生はこういうの嫌いそうだし」 「こういうの……というと?」 「VIPとか、命の重さが金で決まるような、そういうこと」  頼人くんは憂いげに目を伏せた。 「藤宮先生は口調にこそ棘がありますが、仕事には誰より誠実に向き合う方ですよ」 「音無先生って、面白いね」   くすくすと笑う頼人くんは、いつもより少しだけ子供っぽい。 「そのためにも、万全の体調でオペに臨みましょう!」 「……うん。今は僕にできることをしないとだよね」   笑顔になった頼人くんにホッとして、私はナースステーションへ向かうのだった。
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