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「はい」
「北見さんは、精神科のカウンセリングを受けられましたか」
「藤宮先生?」
私は眉を寄せる。
「……え、えぇ。一度だけ」
慎也さんはきょとんとした顔で藤宮先生を見た。
「……問題はなかったんですね」
「特になにも言われませんでしたが」
「では、なぜあなたは娘さんの区別がつかなかったんでしょうか」
「……それは」
慎也さんの顔が引き攣った。
「……藤宮先生、ちょっと失礼ですよ」
しかし、私の牽制にも耳を貸さず、藤宮先生は続けて慎也さんに言った。
「……あなたは、もともと二人の区別がついていなかったんじゃないですか」
「……え……」
慎也さんが、目を瞠る。私もぎょっとして、藤宮先生を見た。
「あなたは精神的には異常はない。なら、なおさら娘さんの区別がつかないなんてことは考えられない」
「…………」
慎也さんは俯いた。
「ど、どういうことですか、藤宮先生」
私は訳が分からず、藤宮先生と慎也さんを交互に見つめる。
「慎也さんは気付いていたのに分からないふりをしていたか、若しくは元から二人の区別がついていなかったか、どちらかということです」
「まさか。そんなの有り得ません! 慎也さんは美矢ちゃんのこと、すごく心配していました」
しかし、私が否定しても、藤宮先生の険しい表情は解けない。俯いたままなにも言わない慎也さんに、藤宮先生が尋ねた。
「……いつからですか」
「……え」
「いつから、娘さんの区別がつかなくなったんですか」
慎也さんは困ったように私たちを見つめた。
「……一年くらい、前からです。突然、会社の同僚や知人の顔が思い出せなくなって。最近では、人混みの中だと妻すら見つけられなくなりました。名前を間違えることはしょっちゅうだったし、真矢と美矢は制服や色違いの服を着ることが多かったから、それで見分けをつけていたんです」
「慎也さん。あなたは一度、脳の検査を受けた方がいい」
「脳? あの……もしかして私は、認知症かなにかなのでしょうか?」
慎也さんは、不安そうに私たちを見る。
「いえ。慎也さんの場合はおそらく……」
認知症ではない。
多分、認知症よりももっと……。
私が言い淀むと、藤宮先生が代わりに口を開いた。
「慎也さん。相貌失認という病をご存知ですか?」
「そう、ぼう……?」
「人の顔を認識できなくなる病気です。相貌失認は、先天的なものもあれば、脳腫瘍や血管障害によって引き起こされることもあります」
「…………」
「症状を自覚し始めたのが最近ということなら、脳に腫瘍がある可能性がある。娘さんのことを思うなら、早めに脳神経外科の検査を受けた方がいいと思います」
しかし、慎也さんは藤宮先生の言葉に苦い顔をした。
「……今は、自分のことに時間を割いている場合じゃないんです。妻の身体のこともあるし、今はとにかく、美矢のことを……」
「慎也さん。私、美矢ちゃんがトップスターになったとき、その晴れ姿を見に行くと約束したんです。もし美矢ちゃんに見に来てほしいって言われたとき、今の状態で、約束できますか?」
酷な質問だったかもしれない。慎也さんの目が泳ぐ。すると藤宮先生は、白衣の内ポケットから名刺を取り出し、慎也さんに差し出した。
「……検査をする気になったら、お電話ください。俺が責任を持って、脳外科に引き継ぎますので」
慎也さんは藤宮先生の名刺を見てわずかに思案したあと、そっと受け取った。
「……分かりました。落ち着いたら、検討してみます」
「……お大事に」
慎也さんはもう一度深々と頭を下げると、帰っていった。
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