第一章・心臓破裂、何秒前?

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 病院につき、急いでスクラブに着替えてERに向かう。運ばれてきた女性の初期治療は既に終わっていた。 「あぁ、藤宮先生ごめんね、呼び出して。音無先生も」 「状況は」 「神崎(かんざき)由美(ゆみ)さん、五十一歳。急性大動脈解離スタンフォードA型。とりあえず今は落ち着いてるけど……結構ヤバいな」  急性大動脈解離のA型は、早急にオペが必要な病気である。患者の容態を確認した藤宮先生は、すぐに初療室を出た。 「音無先生はオペ室のオーダー入れておいてください」 「はい」 「彼女の家族は」  藤宮先生の言葉に、近くにいたナースが反応した。 「相談室に案内してあります」 「音無先生、オペの同意書持って至急相談室」 「はい!」  初日の夜は忙しない。  相談室に入ると、憔悴しきった顔の男性が一人、椅子に座って項垂れていた。  男性は私たちに気が付くと、一転弾かれたように立ち上がる。   急性大動脈解離の患者――神崎由美さんは、今目の前にいる男性、神崎(かんざき)利夫(としお)さんの妻だった。 「先生、妻は……妻は大丈夫なのでしょうか!?」 「落ち着いてください」  藤宮先生は今にも縋りつこうとする利夫さんの横をすり抜け、テーブルに同意書を出す。 「あの……先生?」  利夫さんは無視されたことに困惑気味に藤宮先生を振り返る。 「こちらへどうぞ。奥様の病状をご説明しますので」 「は、はい……」  利夫さんは呆気に取られた様子で、藤宮先生を見つめた。 「あ、では、こちらへお座り下さい」  藤宮先生の態度に私も一瞬呆気に取られながらも、慌てて利夫さんに椅子に座るよう促した。 (……この場合の説明は、利夫さんの負担をかなり強いることになる。藤宮先生はどうやって説明するんだろう)  ちらりと藤宮先生を見る。しかし、彼は表情ひとつ変えることなく、椅子に座る利夫さんを見つめていた。 (さすが藤宮先生、こんなときでも冷静だ) 「あなたの奥様――由美さんの病名は、急性大動脈解離。分類で言うとスタンフォードA型。治療はオペ一択。今は血圧コントロールにより落ち着いていますが、このままオペをしなければ平均で言えば二日以内に死亡する確率は五十パーセント。一週間以内で言うと、七十パーセントまで上がります。次、発作が起きたら助からないと思ってください」  私は藤宮先生の説明に絶句する。 「は……」 (……はぁ!?)  説明を受けた利夫さんは案の定顔面蒼白で、強く握り締められた指先は白くなっている。 「……じゃあ、オペをしたら妻は治るんですか」 「いえ。オペをしたとしても、術後(じゅつご)多臓器不全(たぞうきふぜん)などで人工呼吸器(じんこうこきゅうき)を取らずに亡くなられる方も多い。オペをするとしても、覚悟が必要です」 「ちょっと藤宮先生、そんな言い方は」  さすがに利夫さんが気の毒になり、口を挟む。しかし、藤宮先生はスナイパーのような目で私を睨み、言った。 「口答え」 (怖っ!)  藤宮先生は問答無用で私を黙らせると、利夫さんに向き直って言った。 「時間がありません。オペをするかどうか、今すぐに決断してください」 「ふざけるな……! そんな話を聞いて、あんたは自分の妻に手術しろと言えるのか!」  利夫さんは怒りを露わにした。 「私に妻はいませんのであなたの気持ちは分かりかねますが、選ばなければ奥様は亡くなるだけです」   頭が痛い。思わず私は額を押さえた。 「医者だからって偉そうに……なめてんのか! ぶっ殺してやるっ!」  利夫さんはとうとう発狂し、藤宮先生の胸ぐらを掴んだ。しかし、藤宮先生はそれでも涼しい顔をして利夫さんを見返している。 「手を離してもらえますか」 「なんだとこの野郎!」 「お、落ち着いてください、利夫さん!」  慌てて間に入るが、それでも藤宮先生は平然とした態度で、利夫さんにボールペンを差し出している。利夫さんは、藤宮先生の手からボールペンを奪うように攫った。 「あの……とりあえず落ち着きましょう。手術については、私からもう少し詳しくご説明しますから、ね」  なだめるように利夫さんの肩に手を置くと、彼は力なく椅子に座り込んだ。 「……私からの説明は以上です。オペをするかしないかは神崎さん次第です」 「説明は以上って……」  私は信じられない気持ちで藤宮先生を見た。利夫さんは唇を噛み、黙り込んでいる。 「オペをしないなら、今すぐにでも奥様の元に行った方がいい」  藤宮先生は黙り込んだ利夫さんを見て、オペはしないと判断したのだろう。一礼だけしてそう言い放つと、そのまま出ていってしまう。  私は慌ててその背中を追いかけた。
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