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相談室に戻ると、利夫さんは頭を垂れて落ち込んでいた。
「……妻は、死ぬんですか」
利夫さんがぽつりと言った。
視線を落とすと、白紙の同意書が目に入る。ただの紙一枚。しかし、この紙一枚に、由美さんの命がかかっていると思うと、これ以上ないほど気持ちが沈んだ。
「……神崎さん。とりあえず由美さんの病気について詳しくご説明します。だから、落ち着いて考えましょう」
「……はい」
利夫さんは力なく頷いた。
「まず、急性大動脈解離には分類がA型とB型の二つがあります。由美さんがなられたのはスタンフォードA型と呼ばれるもので、今の状態の由美さんを治すためにはオペしか手段はありません」
「……でも、その手術も危険なものなんだろう?」
「……由美さんの場合、上行大動脈人工血管置換術という手術をすることになります。このオペは、破裂の危険性が高い血管を人口の血管に置き換えるものです。手術には心臓や呼吸の補助をする人工心肺という装置を使用し、心拍動を一時的に止めて行います」
神崎さんの表情がすっと青ざめる。
「心臓を止めるってことか……? そんなことをして大丈夫なのか」
(オペは藤宮先生が言う通り、難易度が高い。けれど、なにも分からないままなより、少しでもオペの内容を理解した方がご家族の不安は減るはず……)
「でも、そうしなければ由美さんは、二日以内に大動脈が破裂してしまう可能性が極めて高い、大変危険な状態なんです。上行大動脈というのは、ただでさえ破れやすい血管です。もし次、これが破裂してしまったら致命的になると考えてください。……奥様が突然こんなことになってしまって……酷なお話をしていることは分かっています。ただ、今この間も奥様は危険な状態で、本当に時間がないんです。幸い由美さんは今意識があり、お話することができます。だからこそ、利夫さんには、由美さんと相談してお二人にとって後悔のないご決断をお願いしたいんです」
しかし、利夫さんは力なく首を横に振った。
「……無理だ。私にはできない。とても、そんな危険なオペをしろなんて」
項垂れながら首を振る神崎さんは、疲弊しきっていた。
(突然愛するパートナーが倒れて、状況は最悪……こうなって当然だ)
私はそっと告げた。
「……由美さんには、私からお話しましょうか」
「……お願いします」
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