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それからICUへ向かった私たちは、由美さんに対しても同様の説明をした。由美さんは静かに私の話を聞くと、はっきりと言った。
「……手術をしたいです」
由美さんの言葉に、私は少なからず安堵する。
「この人、一人だとなんにもできないから。私はまだまだ死ねないんですよ、先生」
「由美……」
神崎さんが涙ぐむ。
由美さんを助けるにはオペしかない。それを拒まれたら、彼女に待つのは本当に死だけになってしまう。それだけはどうしても避けたかった。
「……分かりました。すぐに藤宮先生に伝えますね」
私は早速席を立つ。
「……でも、でも、その手術はとても危険なんだ。もしかしたら、その手術が最期になるかも……」
それでもなお不安げな表情が抜けない利夫さんに、私は優しく言った。
「神崎さん。由美さんが受けるのは、たしかに危険な手術です。でも、ちゃんと元気になられた方もいます。由美さんはあくまでも、生きる選択をされたんですよ」
利夫さんはしばらく黙り込んだあと、ようやく一度、頷いた。
「……妻の手術は、誰が?」
「安心してください。執刀は藤宮先生です」
(藤宮先生は、態度は最悪……だけど、藤宮先生の腕の評判は心臓外科医なら誰もが知ってる。彼はまさしく、神の手を持つ医師だ)
しかし執刀医の名前を聞いた途端、利夫さんは態度を変えた。
「それはダメだ。絶対にあの男には妻を任せたくない!」
「え……」
(……嘘でしょ。そう来る?)
「ちょっと、あなた……」
由美さんが困ったように利夫さんを諌める。
「あの男だけはダメだ。ほかの先生……そうだ。音無先生じゃダメなんですか? 音無先生が執刀してください。どうか妻を助けてください」
利夫さんは縋るように私に深く頭を下げる。
「落ち着いてください、神崎さん。藤宮先生はああ見えてもとても腕のいい外科医なんですよ。神の手って言われてるんです。卒後海外で勉強されてきた方で、とても信頼できる先生なんです。奥様のオペは危険度の高いものになります。だからこそ、執刀は腕がたしかな藤宮先生におまかせするのが一番だと思います」
しかし、利夫さんの意志は固かった。
「あの男だけはダメだ。止めてくれ。信用できない」
すると、由美さんも利夫さんの意志に引っ張られたように眉を下げて言った。
「……先生、すみません。私もできることなら、音無先生みたいに信頼できる方にお願いしたいです」
(そんな……)
しっかりと署名された同意書を前に、私は途方に暮れた。
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