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それを聞いて哲也の目が大きくなる。
夢を持っていたあの頃の哲也。和菓子への知識を自分に教えてくれたし、明確な将来の目標があった。こんなものを考案したい、こういうふうなお店にしたい。そんな話を沢山してくれたあの頃。
「最初はそうだったでしょ?」
「……ああ」
俺はなんて事をしてしまったんだろう。
「でも変わった」
「そう……変わったんだ……。全部」
哲也が苦しげに呟いた時、雨音に紛れてスマホが鳴った。どんよりとした瞳を画面に向けると、ゆっくりとタップした。その様子を見て、莉子は告げる。
「もう帰って」
「……ああ……そうだな」
電話の相手は分からない。
哲也は手の甲でグイッと涙を拭った。
「じゃあ」
踵を返して去っていく彼の背中。それを見て、莉子はなんともやり切れない気持ちになった。ねえ、なぜ、今更こんな行動に出てくるの?
七菜の事を大切にしてくれたらそれだけで充分なのに。
雨はさらに激しくなり、哲也の姿は消えていった。
******
病院の天井は白かった。
記憶が途切れていた志乃は、目を開けると深く呼吸をした。吸った途端、胸部に痛みが走る。
「大丈夫ですか?」
聞き慣れた声にそっと目を向けると、そこに恭太が座っていた。
「……恭太……さん」
「安心してください。お腹の子は大丈夫です」
ああ、そうか。
私、運ばれたんだ? お腹の子は無事……。
「哲也さんは?」
「来てないですよ」
「そう……」
言いながら、記憶を辿る。そうだ……。この男、恭太のせいで私の計画はややこしい事になったんだ。志乃はベッドに横たわったまま、恭太を睨みつける。
「そんな元気あるんですね。俺は心臓に冷水をぶっかけられたのかと思うくらい焦りましたよ」
「貴方のせいじゃない。全部」
「そんなに焦りましたか?」
「当たり前じゃないっ!」
大きな声を出すと、恭太にシーッと静かにするようにされた。その行為が余計腹が立つ。
「暫くは安静に、との事です。無理は禁物です。それからストレスも」
出血もなく、ただの腹痛のみだったようだ。搬送される時、子供が流れるかもしれないと思い、パニックになった。
自分は大丈夫だと思っていたのに。お腹の子よりも大切なものがあると思ってやってきたのに。その為に哲也とやっていこうと決めていたのに。
恭太はなんて事をしてくれたんだろう。
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