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「哲也に言われたわ。お前は結婚してうちに入っても自分のことばかりだったよなって。うんざりなんだって」
莉子は窓に目を向ける。行き交う人を見ながら話した。
「結婚する前は本当にやさしくてさ、信頼してたの。勿論、家業のことも分かって入ったつもりだった」
「莉子……」
「でも、想像よりきつかったな。朝も早いし、休む時間なんてない。何かあっても自分の母親には言い返せない哲也の姿を見て、しだいに心が薄れていったの。そんなとき、七菜ができた」
「それで?」
「嬉しかったよ。とても。その時はほんとうにみんな喜んでくれて。でも女の子だって分かった途端、姑は態度が変わったのが分かった」
「ええっ」
「分かったの……女同士だからそういうのって、空気を伝播するように心に入ってくるの。わかるの。ああ、この人いま期待を裏切られたって思ってるな、とか」
あの時の自分はそう感じた。
女だからわかってしまうんだって。
「つぎは男の子とか言われて、段々としんどくなって、哲也とも喧嘩が激しくなっていったわ。……夫婦ってさ、」
「うん?」
「自分のことを分かってほしいって思っているときって、逆に相手もそう思ってるんだよね。哲也はきっと私にもっと従順な妻でいて欲しかったんだろうなあ」
「……そんなお人形じゃあるまいに」
「まあ、そういう場所を選んじゃった自分が悪いってこと」
その時、お肉が届いて二人は焼き始める。網からお肉の煙が出て、食欲をそそられる。まず、手始めにタンだ。
「このタン塩、おいしい!」
「おいしいね! カルビも脂のっててたまらん! これでビビンバ食べたらおなか一杯になっちゃうなあ」
「デザートは別腹でしょ」
「ふふ」
次々と焼いて、食していく。働いて外食もできて、愛娘もいる。きっと私はいま一番幸せだ。
莉子は智美が早くこのメンバーに合流してくれることを心から願った。
「ねえ、智美といつかここに来ようね」
「うん。そうね」
無煙ロースターにあたるスポットライトの柔らかな光。高級感など無い、大衆向けのこのお店に三人で来たい、と莉子は心から思った。
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